台湾東部沖地震と、衆議院補欠選挙の大敗について | ~共に悩み、共に生きる~ 神奈川県議会議員 武田翔のブログ

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世の中におかしいと思うことがたくさんあります。悩みながらも成長を目指す軌跡を描きます!

 

新年度がはじまった4月、最初の衝撃は3日に起きた台湾東部沖地震の発災でした。亡くなられた方に哀悼の誠を捧げますと共に、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
台湾東部の宜蘭(ぎらん)県は1897年(明治30年)、西郷隆盛の長男・西郷菊次郎が初代庁長(現在の県知事に相当)を拝命した地として知られています。当時は台湾人に対して差別意識を持つ日本人が多い中、西郷は河川工事、農地改良、教育など産業の発展を目指して辣腕をふるいました。彼の地では今でも西郷菊次郎を偲び、その功績を称えた石碑が立っています。
 

 
(左:西郷菊次郎。石碑出典は:nippon.com より)


また、地震の震源地に近い花蓮(かれん)県では、日本統治時代に港が作られ、鉄道を敷設し、本格的な開発がはじまりました。また、統治時代の建物「松園別館」があり、将校の宿泊所などに使われました。そんな宜蘭と花蓮ですが、かつては特攻隊の基地があったとのことです。そのことを知っている日本人は、少ないと思います。
そんな台湾ですが、わが国は13年前の東日本大震災の時に多額な義援金をいただいています。また今年初めの能登半島地震でも、多くの気遣いが台湾より寄せられています。「困った時はお互いさま」の精神で、わが国としても出来うる最大限の助力を惜しまずにいただきたいと願っています。


そして4月の締めくくりとなる28日、東京と島根、長崎の1都2県で衆議院補欠選挙が行われました。その結果は自民党にとって非常に厳しいものであり、「負けに不思議の負けなし」というプロ野球・野村克也監督の言葉が思い起こされます。
私自身、国会議員秘書を務めていた頃には自民党が下野し、野党に転じた経験があります。当時を振り返ると、党のいたるところに驕りがあり、その結果として不祥事が相次ぎました。当時の教訓はどこへやら、ここ数年の相次ぐ醜聞に触れて痛感するのは「下野に至ったプロセス」に対する自覚の不在です。なぜ自民党は、有権者の皆様からの支持を失ってしまったのか。そうした当時の反省が活かされていない点に尽きると思います。
 いかにして、己を律するか。これは先月のブログでも綴りましたが、何も特別な事ではないと思います。

その行いを、家族や大切な人に話せるか。有権者の皆様に対してつまびらかにすることができるか。

ふと我にかえった時にそれが出来ないならば、それはやはり、やってはいけないことなのです。大事なことなので、今月のブログも同じ言葉で結びたいと思います。
「今までが大丈夫だったから、これからも大丈夫」ということは決してありません。時代に合ったことを実行しないといけません、有権者はしっかり見ています。

私自身も他人事として捉えず、「人のふり見て、我がふり直せ」の精神で一層身を引き締めて参ります。