昨年に新型コロナウイルスが五類に移行してから、もうすぐ1年。これまでの行動制限が大幅に緩和され、停滞の一途を続けていた経済にも好転の兆しが見え始めてきました。
そうした矢先、折からのわが党派閥によるパーティー収益の取扱いでは区民、市民、県民、そして国民が不振をいだく事態となっておりますことに対し深くお詫び申し上げます。
またつい先日も、和歌山県での不適切な懇親会が報じられました。このことに対してはもはや弁解の余地もなく、自民党所属議員の一人として心より申し訳なく恥じ入る次第です。
もはや一連の事態は単に法的な無実であるか否かの問題ではなく、むしろ道義的な問題が極めて大きい。そして皆様の信頼を裏切り落胆させることとなった現在の状況は、自民党に所属し有権者の負託をあずかる全員が真摯に受け止め、猛省しなければならない状況である。それも極めて重く受け止めなければならない、そう痛覚しております。
とりわけ和歌山県連での出来事は、党の重責を担う立場にある方々の地元でありながら、多くの疑念や不信の根源になっていると仄聞されます。その真偽は定かではありませんが、ここで改めて考えなければならないのは、有権者の皆様が感じている「なぜだ」という思いに対してどれだけ真剣に向き合えるか。その一点に集約されると私は思います。
一人一人は地域や、あるいはわが国の現状を憂い、少しでも良くしていきたい。そういう覚悟の持ち主であると信じ、また信じたい自分がいます。それでもなぜ、道義的には決して許されないことが相次ぐのか。そこに問題の本質があると私は思います。
その理由や矛盾にはさまざまな経緯や事情があるかも知れませんが、そのもっとも根深いところは集団浅慮(しゅうだん・せんりょ)にこそあるのではないかと考えます。
(画像出典:https://unsplash.com/ja)
一人一人は青雲の志を胸に政治の道を志しても、年数が経つにつれて折り合いを求められる場面が増えてゆく。そのきっかけとなるのは、部族長の「大きな声」であったり、抗いがたい「空気」であったりするでしょう。けれども、その流れや空気に身をゆだね、有権者の皆様と一番初めに交わしたはずの約束や誓い、それが反故になるようでは本末転倒です。
だからこそ、私たちは「何のために政治を志したのか」その原点に立ち返らなければなりません。とりわけパーティー収入などの問題は、次の選挙を少しでも優位にたたかうための資金であろうことは想像に難くありません。私も活動資金のやりくりには日々頭を悩ませていますし、政治経験の長い方にしてみれば、昔からの慣行という人もいることでしょう。
けれども令和の現代においては「それはやはり不適切であり、いけないことなのだ」という自覚が必要です。そして、そうした有権者の皆様が普通に抱くであろう感情に対して鈍感ではいけない、むしろ人一倍敏感でなければいけない。それを阻害するのが、他ならぬ集団浅慮、つまり個人としての思いよりも、大きな声や、なんとなくの空気に押し流されてしまうことの危うさに他なりません。
こうしたことは特別に難しい事ではなく、むしろ原点に立ち返れば答えは明らかだと思います。
その行いを、家族や大切な人に話せるか。有権者の皆様に対してつまびらかにすることができるか。
ふと我にかえった時にそれが出来ないならば、それはやはり、やってはいけないことなのです。
現在わが自民党は、有権者の皆様から猛烈なお叱りをいただいています。厳しい言葉も日々いただきます。そうしたお叱りに対してどれだけ真摯に向き合うことができるか。それは他派の話です、そうじゃないと私は思います。
自身が党を背負っているという自覚があるならば、たとえ己の事であろうとなかろうと「わが事」として受け止め、行動で示していく必要があります。
むろん私自身も自分に対する𠮟責であることを痛覚するとともに、他人事としない。
「どこかの誰かが言われていることで、自分には関係ない」そうした「他責思考」に陥ることなく、自身に対する叱責として厳粛に受け止め、全力で信頼の挽回に務める所存です。