書き写し・『表現者クライテリオン』 | ~共に悩み、共に生きる~ 神奈川県議会議員 武田翔のブログ

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世の中におかしいと思うことがたくさんあります。悩みながらも成長を目指す軌跡を描きます!

 

いつも支援者の皆様からは様々なアドバイスや教えをいただき、その積み重ねが私自身の活動の源泉となっています。
『表現者クライテリオン』という保守思想誌を読むようになったのも、とある支援者の方からの助言がきっかけでした。

このクライテリオン(=Criterion)とは判断・評価の基準や標準,尺度といった意味があり、私自身も同誌に刺激をうけ「基準の高さが評価の高さ」という信条を掲げています。

「クライテリオン」5月号


最近の号をめくると、藤井聡・同誌編集長の「クライテリア日記」と題された記事の冒頭に大きな衝撃を受けました。「理想の政治」を思い描きながらも、なかなか言葉に表すことができないもどかしさを日々痛感しています。そこを見事なまでに代弁いただいた、そんな目が覚める衝撃を受けました。
以下は私が感銘を受けた部分です。備忘録を兼ねて、一字一句を反芻するべく書き写します。

―――――(引用、ここから)―――――
編集長クライテリア日記(令和6年2月~3月)
 

この週末、とある依頼で岡山に講演会に行って参ったのですが、その講演の最後に、日本のためになすべき事を本当になすためには、どうしても「政治」の力が必要であること、そして、その政治の力を発揮するためには、多くの国民が政治に「関心」を持つ事が必須であるという点を改めて強調いたしました。で、その折りに、そもそも、我々現代人にとってみれば、政治に関わりを持つ、ということと「生きる」ということは全く同値なのだ、という点をお話ししました。
 

逆にいうと、現代人のくせに政治に興味関心がないというのは、生きていない、っていうことであり、死んでいるっていうことと全く同じなわけです。ではなぜ、そう言えるのか、というと、そもそも、我々人間が生きていくということは、この「世界」の中で、どうにかこうにかやりくりしていくことを意味しているからです。
 

で、現代人が住むこの「世界」は、その半分が「自然の摂理」によって支配されているわけですが、もうち半分は「政治の力学」によって支配されているのです。お店に置いてある食べ物を勝手に食べてはいけないし、他人の家に勝手に入っちゃいけないし、腹が立つ奴を殺してしまってはいけないのです。
 

こうした規範の根幹は全て「政治」によってコントロールされ、支配されています。
さらには、今の経済の状態だとか、自分の所得だとか、自分の仕事の売上げだとかも全て、「政治」によって甚大な影響を受けているのです。
だから、現代の私達が生き生きと生きていくためには、野生動物が自然の状態に本質的、本能的な興味関心を持たざるを得ないように、政治の状態に本質的、本能的な興味関心を持たざるを得ない筈、なのです。
 

もしもそんな本質的本能的な興味関心を失えば、野生動物達が瞬く間に、彼らの置かれた自然環境の中で衰弱し、死滅してしまうように、私達もまた、瞬く間にこの政治状況の中で、弱体化し、死滅してしまう他無くなるのです。
そして我が国日本は今、まさにそうやって弱体化し、死滅してしまいかねない状況に追いやられているのです。
政府や大企業がどれだけ国民に不利益をもたらしても、それについて「しょうがない」と言って無気力に諦める態度を延々と続けているのが今のあらかたの日本人です。それは、生きようとする意志、生き生きと活動していこうとする意志の喪失そのものであり、それは「死」そのものを意味しています。
 

これこそ、岸田総理が未だに二割や三割の支持を集めている根本的原因であると同時に、消費税減税に対する声が日本国内で拡大していかない本質的原因です。
生きる気力の無いものは生命そのものが死に向かって弱体化して行かざるを得ないように、今の日本はまさに、生きる気力を無くし、デフレや少子化、外国企業や外国政府からの様々な政治的、経済的侵略に苛まれ、まさに死滅への一途を辿っているわけです。
生き残るためには、「世界」の中で七転八倒しながら生き続けんとせねばならないわけで、そのためには、我々は一人の例外もなく「政治」に本格的な関心を持たねばならないのです。
……というような事を、講演でお話し差し上げたのですが、どれだけの方の心に響いたのか分かりかねますが……日本が生き残るかどうかは、この一点にのみかかっている、と言っても全く過言ではないでしょうね。
(以下略)
―――――(引用、ここまで)―――――

この『表現者クライテリオン』誌ですが、錚々たる寄稿陣の掲載のみならず、読者の方々の投書にも唸らされることが多く、大きな学びとなっています。前述の編集長日記が掲載された号の投書欄に、思わず目を見開いた一文が寄せられていました。その結びについても、やはり備忘録を兼ねて書き写しておきます。

――私は、我が国の国民の大いなる意志により大国となることを、我が国の主権者の一人として望み、共感を願う。反対に、小さな意志により小国となることを、主権者の一人として否定する。以上をまとめると、次のようになるだろうか。「日本人よ、大志を抱け。」――