アメリカとの戦争が始まりに至る経緯は、中学校の教科書では、通常、以下のように記載されます。
「日本がインドシナ南部に侵攻すると、アメリカは日本への石油・鉄などの輸出を禁止し、
中国や東南アジアからの日本軍の撤兵を求めたことから、日米間の緊張が高まりました。
この解決のために日米交渉が続けられましたが、なかなかまとまらず、
日本はアメリカとの戦争に踏み切っていきました。」
(教育出版、中野区・練馬区中学校で採用されています)
育鵬社の歴史教科書でも、概ね同様の説明になっています。一応、記載します。
「日米交渉が行きづまるなか、郡部では対米開戦も主張されるようになりました。
1941(昭和16)年11月、アメリカは、中国やインドシナからの日本軍の無条件即時撤退、
蒋介石政権以外の中国政権の否認、三国同盟の事実上の破棄などを要求する強硬案(ハル・ノート)
を日本に提示しました。東条英機内閣は、これをアメリカ側の最後通告と受け止め、
交渉を断念し、開戦を決断しました。」
育鵬社教科書は、この記載の横にコラムとして、
「何がアメリカ国民を戦争に導いたか」を掲載しています。
これは他の出版社の教科書には見られない記述です。少し長いですが、そのまま記載します。
「
戦後、アメリカの外交官H・A・キッシンジャーは、その著書『外交』で、日米開戦について
次のように記しています。
「ルーズベルトは、日本がハル・ノートを受諾する可能性はないと知っていたにちがいない。
(中略)アメリカの参戦は、ルーズベルトという偉大で勇気のある指導者の並々ならぬ
外交努力なしでは達成できない偉大な成果だった。3年もかからないうちに、彼は、
孤立主義的なアメリカ国民を大規模な戦争に導いた。(中略)もし日本が米国を攻撃せず、
東南アジアだけにその攻撃を集中していたならば、アメリカ国民を、何とか
戦争に導かなければならないというルーズベルトの仕事は、もっと複雑困難になっていたで
あろうが、結局は彼が必要と考えた戦争を実現したのである。」
決してアメリカを戦争にまきこむことはない、と訴え続けつつも、反ファシズムの考えをもっていた
ルーズベルトにとって、真珠湾での日本軍による攻撃はアメリカ国民を戦争に誘う、
このうえない材料となったのでした。
」
私がお伝えしたいのは、歴史は上記のように、資料一つで歴史観がかわってくるということです。
塾ではあくまで受験対策を行いますので、歴史観に関わるような
部分にはほとんど触れません。(学校ではどのような歴史観が教えられるかは、
担当教師次第ですが、自虐的な歴史観である可能性が少なからずあります。)
大切にしたい歴史観があるなら、ご家庭でお伝え頂きたいと思います。
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