【高校受験】【中学受験】日米開戦に至る経緯 | 中学受験・高校受験 学力を伸ばす方法

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学習塾「テイクオフ」は2023年2月19日で閉塾しました。
18年間、誠にありがとうございました。

森下武三は、森下和装工業(横浜市)で
畳・襖・障子の仕事をしています。

アメリカとの戦争が始まりに至る経緯は、中学校の教科書では、通常、以下のように記載されます。

「日本がインドシナ南部に侵攻すると、アメリカは日本への石油・鉄などの輸出を禁止し、

中国や東南アジアからの日本軍の撤兵を求めたことから、日米間の緊張が高まりました。

この解決のために日米交渉が続けられましたが、なかなかまとまらず、

日本はアメリカとの戦争に踏み切っていきました。」

(教育出版、中野区・練馬区中学校で採用されています)


育鵬社の歴史教科書でも、概ね同様の説明になっています。一応、記載します。

「日米交渉が行きづまるなか、郡部では対米開戦も主張されるようになりました。

1941(昭和16)年11月、アメリカは、中国やインドシナからの日本軍の無条件即時撤退、

蒋介石政権以外の中国政権の否認、三国同盟の事実上の破棄などを要求する強硬案(ハル・ノート)

を日本に提示しました。東条英機内閣は、これをアメリカ側の最後通告と受け止め、

交渉を断念し、開戦を決断しました。」


育鵬社教科書は、この記載の横にコラムとして、

「何がアメリカ国民を戦争に導いたか」を掲載しています。

これは他の出版社の教科書には見られない記述です。少し長いですが、そのまま記載します。



戦後、アメリカの外交官H・A・キッシンジャーは、その著書『外交』で、日米開戦について

次のように記しています。

「ルーズベルトは、日本がハル・ノートを受諾する可能性はないと知っていたにちがいない。

(中略)アメリカの参戦は、ルーズベルトという偉大で勇気のある指導者の並々ならぬ

外交努力なしでは達成できない偉大な成果だった。3年もかからないうちに、彼は、

孤立主義的なアメリカ国民を大規模な戦争に導いた。(中略)もし日本が米国を攻撃せず、

東南アジアだけにその攻撃を集中していたならば、アメリカ国民を、何とか

戦争に導かなければならないというルーズベルトの仕事は、もっと複雑困難になっていたで

あろうが、結局は彼が必要と考えた戦争を実現したのである。」

決してアメリカを戦争にまきこむことはない、と訴え続けつつも、反ファシズムの考えをもっていた

ルーズベルトにとって、真珠湾での日本軍による攻撃はアメリカ国民を戦争に誘う、

このうえない材料となったのでした。



私がお伝えしたいのは、歴史は上記のように、資料一つで歴史観がかわってくるということです。

塾ではあくまで受験対策を行いますので、歴史観に関わるような

部分にはほとんど触れません。(学校ではどのような歴史観が教えられるかは、

担当教師次第ですが、自虐的な歴史観である可能性が少なからずあります。)

大切にしたい歴史観があるなら、ご家庭でお伝え頂きたいと思います。



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