三和 導代 です。
1997年当時、イラクのウルのアブラハムの家の門柱の外側には紋章が刻まれていました。それは16条菊花門でした。現地ではカモミールと呼ばれています。写真に残っていますので間違いありません。それを今回、どうしても再度確かめたかったのです。
しかしながら28年の間にはイラクにおいては大きな変化がありました。2003年にフセイン大統領が逮捕され、2006年には絞首刑となりました。このフセイン大統領が生前に身につけていた腕章と同じデザインがアブラハムの家の門柱に刻まれていたのです。私は当時、信じられなく何度もガイドに本当にこれはあの旧約聖書に登場するアブラハムの家かと何度も確かめました。先祖代々引き継がれるの紋章としてフセイン大統領が大切にしていた16条菊花門が刻まれていたのです。
そして結果としてはこのアブラハムの門柱は2003年にフセイン大統領が逮捕された後に、撤去され私はもう目にすることはできませんでした。現在はウルのジグラッドはきれいに保存されていますが、鉄線に囲まれ上ることはできません。しかし近くにアメリカ軍の大きな基地があったためか、ISによる破壊も免れ現在に至っています。
そしてその周辺では遺跡調査が進み、きれいに整備されていました。しかし28年前のあの場所は一般人が立ち入ることは禁じられていました。遺跡群の一部にあるようですが、VIP以外は立ち入ることはできなくなっていました。しかし私の熱意が伝わり、ここの鍵を持って管理している方が日本からわざわざやって来て、その遺跡のことに興味があることを知り、特別にその鍵を持って案内してくれることになったのです。そうこの日は私たち以外の訪問者がいない最初から最後まで貸し切り状態だったのです。
何とラッキーなことでしょうか。私は天に昇るような気持ちでその遺跡群に車で向かいました。以前はこのようにきれいに発掘された場所の記憶は全くありません。遺跡の発掘作業が進行している証拠です。しかし、私の記憶の16条菊花門の門柱はありませんでした。私はここを案内してくれた鍵の管理人にこれまでの経緯を伝えました。
「あなたが1997年にこの地を訪れたいうのはお話は本当です。あなたがおっしゃることは正しいです。当時は私の父が管理をしていました。その父はもう亡くなりました。私はこの父からこの16条菊花門のことは聞いていました。間違いなくあったのです。しかしフセインが逮捕された後に2003年以降にこの門柱は撤去されました。あなたは父の時代にここに来られ、そしてまた現在私の時代に再びこの地に来られました。当時ここを案内したのは父だったはずです。どうぞ私の息子の時代になったらまた来てください。そしてこの話をしてください。」私にとっても涙が出るくらいうれしいお言葉でした。また必ず来ますと答えました。
サダムフセインの宮殿は今でも各地に残っています。バビロンにも素晴らしい宮殿があります。外部からは見ることはできませんが、何と今回はまたまた例外中の例外で中に侵入することができたのです。そしてその中で目にしたものは???(つづく)