シュメールの旅から② | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

もちろん今回の入国時にはおかしげな検査はありませんでした。心配しないでください。当時の規定でエイズ検査は女性は50才以上?男性は60才以上?はエイズ検査は免除されたのです。(この年齢は不確か、しかし男女の年齢差が5才から10才あったのは間違いない。)どう思います、この年齢。女性は50才以上はセックスの対象外???ということでしょうかね。現在でしたら、私も免除でしたが、当時はまだ若かったので、しっかり血を採られました。

 

28年ぶりのイラクはISの問題も姿を消し、平和な時代に戻っているというのが第一印象です。この国は5年前とは変わり、新生イラクが始まっていると若き熱血漢のガイド君が語ってくれました。確かに物資は以前に比べますとずっと豊富で、食事もお肉もお野菜も果物も豊富で別の国に来たかと思うほどでした。

 

これまでの続く戦禍でどれだけの一般人、民間兵が命を落としたことでしょうか。多くの死者をたたえて、メイン通りには慰霊の写真がずらりと掲げられています。また同時に2025年11月11日(もう終了しましたが)の国会議員選挙のポスターが大きく掲げられていました。女性候補者もいますが、シーア派の多い南部とスンニー派の多い北部では女性の服装やお化粧で大きな差があることは一目瞭然でした。

 

南部には預言者モハメッドの血筋であるアリ(モハメッドの従兄弟、モハメットの娘ファティマの夫)の血統をイマームとするシーア派の指導者のアリやフセインを称える巡礼地もありますので、黒のアバヤを前進からかぶった女性が多く見られます。隣国のイラン、シリアにも数多くのシーア派のイスラム教徒がいます。現在の国境線はイスラエル同様に他国(ロシア、イギリス、そしてフランス)の取り決めにより決めたものですので、全くありがたくない戦禍の種まきでした。

 

フセイン大統領の時代には「大量破壊兵器の保有」を理由として、2003年3月20日、アメリカが主導する有志連合軍はイラクへ攻撃を開始し、4月9日にイラクの首都バグダードが陥落しました。しかし大量破壊兵器が見つからなかっため、戦争の大義名分は民主化にすり替えられています。こんなことが世の中では平気で行われているのです。

 

前書きが長くなりました。今回のイラク訪問の一番の目的地はウルでした。ウルはユダヤ教、イスラム教、キリスト教の祖であるアブラハムが生まれ育った血でした。アブラハムの父はウルのシュメールの神官でした。これは旧約聖書にも書かれています。シュメールの王家の血筋を引いているのがアブラハムでした。このウルには見事な紀元前21世紀のウル第3王朝時代から建造が開始され、基壇の上にはウルの守護神でもある月神ナンナの至聖所がありました。

 

現在の建造物は、新バビロニアの時代紀元前6世紀に改築したもの。最上階の青い神殿部分はありませんが、しっかりと美しいジグラッドの姿が現在でも残っていました。ISの標的にはならずに生き残りました。近くには米軍の大きな基地がありましたので、門番として働いてくれたのかもしれません。

 

そしてこのアブラハムの家が私の記憶ではジグラッドを正面にして左手の地域に、1997年当時は荒れ果てた遺跡群がありその中に1本の門柱らしきものが残っていました。当時のガイドは間違いなく私たちにこれはアブラハムの家の入り口でと説明してくれました。私はとても信じられなく何度も何度の本当ですか?と聞き返しました。そんな昔の物がどうして特定できるのかと。

 

その証拠写真を高坂和導がビデオで収め(おそらくまだ捨ててはいないはず)、その写真を私が撮影したものが、出てきましたので間違いはありません。それは一体どんなものだと思われますか?(つづく)