マリの村の女性自立支援に生涯をかけて | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

今週の水曜日の定期セミナーに私の昔のボスが初めて参加してくださいました。村上一枝さんです。

48才で開業医を後輩に譲り、単身西アフリカのマリのサハラサバ砂漠でボランティア活動を開始。マリの村の女性たちと共に生きた自立活動、現在に至っています。2017年以来マリはイスラム過激派組織によるテロの影響や襲撃事件といった治安上の問題があり活動も前線から撤退せざる得ない状況ではありますが、現在も東京をベースに現役で支援活動を続けていらっしゃる私の尊敬する女性のひとり、現在の私の活動に大きな影響を与えることになったマリでの村の生活がありました。

 

今年2月22日に出版され、私に本を送ってくださったのが再会のきっかけとなりました。「悩んでも迷っても道はひとつ」小学館から発売中です。実は村上一枝さんの活動は高校の英語の教科書にも載っています。次回の私のセミナーには村上さんをお呼びしてお話しをしていただく予定です。5月29日(水)を予定しています。マリの村の女性自立支援に生涯をかけて、現在も83才ですが活動中です。

 

マリでの村の生活環境は日本に比べてずっと厳しかったとは事実ですが、本当に楽しい5年間を体験させていただきました。

 

活動する村ではレストランなどあるはずもありませんので、すべてマリの女性が作った現地食でした。私は完全に食べる人になりっ切っていました。一品料理ですが懇切丁寧に料理を用意してくれました。杵や炭火を使っての私には到底出来ない技で、たっぷり時間をかけて用意された現地の食事は本当に美味しく、今でも恋しくなります。チンの電子レンジの世界とは程遠い料理。しばしば東京・浜松町にある西アフリカレストランに足を運んでいます。

 

マリは大変暑い国です。真夏は45度位まで上がります。夜は外が一番心地良く、食事はすべて敷地内ですがの外です。夜は電気がありませんので、ランプを置き、懐中電灯を照らしながらの闇鍋状態です。水道水はありませんのですべて井戸水。食器はひとつの大きなボールに入れられ、それを皆で右手を使って食べます。とても熱いので私にはスプーンとフォークを用意してくれました。慣れかもしれませんが、手の皮は相当に厚いかもしれません。(笑)マリの人だけでなくアフリカの人々は本当におしゃべりです。だからこそ語学は得意です。文字から学ぶのではなく音から耳から覚えるからです。

 

お風呂も敷地内の一角ですが、トイレもまたそうです。穴が空いていますのでそこにお尻を向けて用をたします。お風呂はお水または沸かしたお湯をバケツに入れて体を洗います。1杯で石鹸も使い、頭も洗うとなると大変なことです。男性は皆坊主ですので便利、女性はきれいに髪の毛を編み込んでいますので、1週間に1度くらいしか洗いません。折角のヘアーが台無しですので。

 

夜は部屋が暑いのでベッドに蚊帳を張って足元には蚊取り線香を置いて寝ます。郷に入っては郷に従えです。私は今でも世界中テント、寝袋、雑魚寝何でも大丈夫。それができないと現地の人々と同じレベルで考え語り合う、つまり共有できないのです。日本では寝食ともにできないとプロジェクトの完成は難しいのです。

 

村と村との移動は現地スタッフのバイクの後ろの席に乗せてもらい風を切りながら落ちないようにしっかりつかまってということもしばしばありました。そんな日々を2003年から5年間体験できたのです。それは私にとって貴重な財産です。