フェニキア奇跡の再開ベイルート国立博物館 | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

ベイルート国立博物館は1942年開館のレバノン最大の考古学博物館です。博物館がオープンしたのはレバノン共和国が独立した後の1942年になってからのことです。しかし内戦が1975年から1990年に勃発、博物館の位置が戦闘の前線(グリーンベルト)となっていたことから博物館は閉鎖され、収蔵品は地下室などに保管されました。そして再開されたのは1999年のことでした。

 

正面は古代エジプトの閉花式パピルス柱を模した列柱が並ぶ巨大は建物です。博物館の収蔵品は10万点と言われていますが展示されているのは1300点ほどです。全てレバノンで発掘されて遺物です。フェニキア人の一番古い文明を知ることができる一番古い町ビブロス、シドンからも古い遺物を堪能することができます。

 

特に眼を葺くのはフェニキア人の一番古いL神殿の近くで建設されたオベリスク神殿から発掘されたオベリスクや副葬品です。オベリスク神殿は紀元前1800年のものです。ヒエログリフが彫られたオベリスク1階の展示室のあります。このオベリスクはビブロスのアビシェム王のもので、オベリスク神殿の中に建っていたものです。ヘルシェフは羊の頭を持った神でオシリスやラーと同一視された古代エジプトの神の一人です。オベリスクが作られた紀元前19世紀は、古代エジプトでは中王国時代第12王朝の時代で大変繁栄していた時代です。何とビブロスのオベリスク神殿には26本のオベリスクが残っています。またここから発掘された数々の兵士のブロンズ像。ビブロスのオベリスク神殿出土。すらっとした体型、帽子、衣服等、エジプトの影響を強く受けていることがよくわかります。

 

フェニキア人は独自の文字を持っていました。ビブロスから発掘された石棺にはフェニキア語が書かれていますので、石棺の中に誰が入っていたかを知ることができます。フェニキア文字は22文字です。フェニキア人は海洋民族でしたので、地中海を通り様々な国々の人々と交易をおこなっていました。当時バビロニアでは楔形文字、エジプトではヒエログリフが使われていましたが、22文字だけのフェニキア文字はシンプルで覚えやすかったためか、大変重宝されました。

 

ギリシャ文字からアルファベットが派生しますが、そのギリシャ語に大きな影響を与えたのがフェニキア文字だと言われています。右から左に書きます。時としては上から下に書くこともありました。副葬品にも沢山のフェニキア文字が刻まれています。文字を大切にした知的レベルの高い民族でありました。今でもレバノン商人という言葉が残っていますが、フェニキア人と同様に自国を離れて外国で商売に成功した人々は沢山います。ゴーンさんも例外ではありませんね。貧富の差が激しい社会でもあるとも言えるようです。

 

ベイルート博物館の展示物はかなり充実したものです。観光で訪れるのでしたが、各地の遺跡等を見てからこの博物館を訪れますと一層理解が深まることでしょう。