三和 導代 です。
1週間のレバノンから帰国しました。25年以上ぶりのレバノンの滞在でしたので、考え深い渡航でした。今は内戦も終わっていますが、まだドラン高原には国連の監視団が半年交代で各国の軍隊が監視にあたっています。帰国のベイルートの空港では任務を終えたアイルランド人兵士のグループと一緒でした。恐らく総勢少なくとも50人以上100人近いの兵士です。幹部クラスはビジネスクラスのラウンジにいましたので、ここでもやはり力関係は当たり前の世界です。
アイルランド人ですの若者ですので、皆きりっとしたハンサムボーイです。ゴラン高原に近い南部のティ―ルの町には国連の基地、そして韓国軍が守っていましたので、まだまだ各国が交代で平和維持のために駐在していることが理解できました。それだけこの地はイスラエルとレバノンが争った地域なのです。
今振り返りますと私が一番最初にイスラエルの地に足を踏み込んだのは1980年代後半でしたので、レバノン内戦の時期でした。シナイ半島からイスラエルに入国する際も驚くほどの厳しい国境での検査は今でも忘れられません。所持品を細かく全てオープンでの検査でした。
レバノン国内には主教は18の宗派が存在し、一番多く国民の約55%を占めるスンニ派やシーア派などのイスラム教、次に約40%を占めるマロン派などのキリスト教。そして約5%がイスラム教少数派のドゥルーズ派など他の宗教です。レバノンでは宗派ごとに権力を分散する体制をとっていて、大統領はキリスト教マロン派、首相はイスラム教スンニ派、国会議長はイスラム教シーア派から選出。国会議員数も1932年の国勢調査をもとに18の宗派ごとに割り振られる決まりになっています。一つの宗教に型よな内容に選出しているということです。ですからキリスト教徒のゴーンさんが次期大統領選に出馬するという噂もウソではないかと思います。彼はレバノン、ブラジルの国籍も持っています。
ベイルートはマロン派の東ベイルートとイスラム教徒の西ベイルートに分断。シリア、イスラエル、アメリカ主導の多国籍軍などの介入で泥沼化し、およそ15万人の死者を出したすえに1990年、終結しました。15年に渡る内戦でした。しかしそこにはイスラエルもPKOの多国籍軍が介入し、今でもその名残が残っているのです。日本の自衛隊もPKOとして派遣されたことは皆さんの記憶の中にあるかと思います。
内戦後のレバノンはシリアの支配下に置かれ、ベッカー高原を中心に約3万人のシリア軍が滞在しました。シリアが撤退した2005年までの15年間、政情が続きます。がレバノン南部では、シリアやイランが支援するヒズボラと、イスラエルの紛争が継続され2006年にはイスラエルによる「レバノン侵攻」を招く事態になっています。
そして現在はシリアからの難民が大勢流入、国連が建設した仮設テントに長期滞在のシリア人の生活をシリアの首都であるダマスカスと近いアンジャールの町の郊外での生々しい生活を目にしてきました。国連からの援助+アルバイトでレバノンの人々より生活をしている人も多いとは聞きましたが、貧困のシリア難民もいることは確かです。