三和 導代 です。
初回に書きましたが、ウエツフミは豊国文字で書かれています。吾郷清彦著「古史聖伝 ウエツフミ 原文併記 全訳」霞が関書房から第1巻から5巻と附録の6冊がセットになっています。ちょっと興味があるだけの方にはハードルは高いかとは思いますが、豊国文字でかかれたウエツフミが詳細に翻訳されています。大変な作業であったことはもちろん想像がつきます。
漢字が渡来する前、我が国で使用されていた固有の文字を、一般的には神代文字と呼んでいます。吾郷先生は、我が国固有の文字を漢字に対して「古代和字」と呼んでいます。ヤマトモジ(日本文字)とも呼んでいます。それは神武天皇以降にも作られているからです。吾郷先生によれば、ヤマトモジすなわち古代和字には、百種類にのぼる幾多の形態があます。ホツマツタエは豊国文字は、この古代和字の一つであり、古体象字と新体象字の2種類に分かれています。新体象字は、ホツマツタエの記録用文字として使われています。
豊国文字を後世の製作と考える人々もいます。吾郷先生はサンカ文字と越文字の存在を通して、豊国文字が神武朝以前の古代和字であることを強調しています。サンカ文字とは、サンカ研究の第一人者であった三角寛が命名した古代和字です。三角寛は豊国文字の存在を知りませんでしたので、サンカ文字と呼んだのであって、サンカ文字は実は豊国文字古体象字と新体象字と、その途中で変化推移する中間象字であると吾郷先生は述べています。北陸地方で使われていた越文字も豊国古体象字が変形したものにすぎないとういう。
サンカ族が純血の日本人であったかは別として、サンカ族がウエツフミ所蔵の古い言葉を使っていたのですかが、豊国文字は神武朝以前の相当古い古代和字であることは間違いことを強調されています。私もサンカ文字と豊国文字古体象字から新体象字に転化推移する中間文字であることは間違いないかと思います。
古史四書と言われる九鬼、竹内、富士、物部とともに、古伝四書と言われるウエツフミ、ホツマツタエ、ミカサフミ、カタカムナなどを比較研究することで我が国の超古代史の一部を垣間見ることが可能であることは間違いありません。竹内文書も元々は古代和字で書かれていましたが、ウエツフミは豊国文字(トヨクニモジ)、ホツツタエとミカサフミは秀真文字(ホツマモジ)、カタカムナのウタヒは上津文字(カミツモジ)と古伝四書もいずれも純然たる古代和字で書かれた超古代史であります。
漢字以前の我が国の文字が存在していたことは疑う余地もないと私は思いますが、皆様はどう思われますか。