三和 導代 です。
前回は竹内文書の中でもほぼ同じ部分を一部紹介しましたが、今回は日本で一番多く崇められています天照大御神の記録です。この記述は記・紀には見られないユニークな部分です。
ウエツフミの三の綴では、諸神々をお召しになり、勧農事業を始めとし、食糧増産の指導、漁撈の奨励、牛馬の利用、家事正業の伝授、酒・味噌の醸造、住宅の建設、高天ノ原語の普及、医薬の研究、養蚕機織裁縫の教授、幾多の文化を普及されたというのは非常に興味深い内容です。
天照大御神はオオケツヒコ尊夫妻をはじめ、田畑創りに経験のある諸神達をお召しになり、豊葦原の中津国に天降って、農業指導と農地改革とを行うよう、御委任になった。。。。。耕作に使用した鋤や鍬は、これを敬って、イミスキ(斎鋤)イミクワ(斎鍬)と称している。当時の農業生産に必要な農具をいかに尊んだかを知ることができます。アメノミクマリ尊夫妻は田畑に灌漑・排水を行い、田畑で稲・豆・粟・ソバ・細実などの主食のほかに、野菜類の副食物を栽培収穫した。
海産物栽培に関する記録です。オオワダツミーマツラヒコノ尊夫妻神は大御神の御委任に基づき、天の安河にある岩蒸す御苔を大海原に撒いた。すると大小の魚類をはじめ貝類が生じた。ここで大御神は、「仔を沢山生むものを食べると病気になるぞよ」と食物摂取に対する戒めを申し渡しておられる。
ウガノミタマヒコノ尊、カツヂヒラカミヒコノ尊両夫妻神が、大御神の御委任により、農業の助けとなる牛馬を造る記述である。カツヂヒラカミヒコノ尊両夫妻神は苔蒸す原土をとり、掛声鋭く秘言を告ると、立髪のある獣ができた。次に苔蒸す埴土をとり、掛声鋭く秘言を告ると、角のある獣が出来た。この夫婦神が両種の獣を大御神に献上した。立髪のある獣は大変ウマく走ったので、「ウマ」といい、角のある方の獣はウシ(遅)く走ったので、「ウシ」と名付けた。
その他、田畑津物を貯蔵する方法、火焚法、煮炊法、食器の製法、掘井法、臼杵および魚具の製法、魚網・延縄の作り方、漁獲法なども諸神々が教えた。
イクルヒコネノ尊夫妻神は酒をかもし、クマヌクスビノ尊夫妻神は味噌を造っている。米で創った酒をマサカ(真酒)、麦で造った酒をミサカ(美酒)、麦と大豆で造った味噌をムシ(蒸)とある。家の作り方の詳細、高天ノ原語の普及、被服(養蚕・機織・裁縫)の教導等も。
竹内文書でも上記の基本的な事項を担当する其々の神々が世界万国に伝藩した記録があります。しかし、それは天照大御神の時代ではなくもっと古代である皇統(上古)1代、2代のスメラミコトの時代です。しかし共通することはそれぞれ専門に担当する神々がいたということでしょう。神々とは一体?という問題はさておき、ウエツフミも竹内文書でも根底にある考え方はとても似ているように思います。