矢野シンさんについて④ | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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竹内文書の研究家・高坂和導の遺志を継ぎ、三和導代が古代スメラミコトの足跡をたどり、世界を旅するブログ

三和 導代 です。

 

そう間もなく秋分の日ですが、新政龍神会では確か春分の日と秋分の日には元伊勢内宮皇大神社元伊勢籠神社の奥の院である眞名井神社、そして綾部にある大本教の墓地近くにある矢野家(祐太郎さんとシンさんが眠る)の墓参りをされていたと思います。一度私も青砥先生の動向させていただいたことがあります。もう18年位前のことですが。

 

矢野シンさんの手元に特高に没収された夫である祐太郎さんが残された神霊密書が27年ぶりに手元に戻って来ました。そしてその本を世の中に出版することにしました。昔のガリ版刷りの本です。その前書きをシンさんが書かれています。今回はその続きです。

 

彼が昭和13年8月に東京巣鴨拘置所内で奇怪な急死をしてからは、彼の遺志を継ぐのが私の使命だと思い、それ以来二十余年間を心に祀ってこれを探し続けていたのですが、なかなな探しだせないので、何と言ってもその時に僅か十分しか作らなかった「図表」と百部しか作れなかった本ですうえに、事件当時に彼のメモから配布先を特高が知っていて、その先き先きを虱潰しに家宅捜査して没取しては焼いたので、とても残存詩ている物はあるまいと半ば悲観していたところ、昭和34年に「図表」が、また翌年の35年に初秋には「神霊密書」が意外な所から私の手元に戻て来たのであります。手の舞い足の踏む所を知らずとは歓喜の絶頂に在る様を指した言葉だそうですが、この時期の私は本当にこの言葉通りでした。・・・・・・・・・

 

彼は自己満足や売石の具に古来からの説論を排して新たなる神相観や神界観を説いたのではありません。日本を安国と拓き給うた国祖神や、日本人を天意奉行の真人にと産み給うた国人祖のお導きのままに、その真意遂行の神業に真一文字に仕え奉ったのであります。

 

真実は何時も後ろに控えていてでしゃばらないのが世状百般の姿のようでありますが、当時女子大に通っていた長女矢代子を初め息子たちでさえもが、父親の行為を身内にたぎりっていたこの敬神愛国のやむにやまれぬ至情から、家族を忘れ自分も捨て去ったものであると悟ることができなかったようですから、ましてや作為的に行動した或る階層から一時的にせよ彼の言行が国賊呼りされたのもやむを得なかったと思います。しかし妻として彼の許に在って時には彼の為に霊媒の役を勤めた私には、彼のこの気持ちはよく判っておりました。・・・・・・・・・・・・

 

そうシンさんは妻として霊媒者として祐太郎さんと一緒に過され、亡き祐太郎さんの跡を継がれた方でした。今では死語となりつつある日本人女性の鏡のような未亡人だったのだと思います。夫亡き日本女性は強いですね。今でも私はシンさんの想いの強さが不可能と思われる祐太郎さんの本と年表が手元に戻させたのだと思います。

 

そしてその本がなぜか高坂和導の手元にやってきたのか。偶然という言葉はありません。彼はこの本をあの白髪のおじいさんから読むように手渡されなかったら、竹内文書の世界には入っていませんでした。彼はよく言っていました。この本を「神霊正典」(神霊密書と同じ)を一晩で読み上げたと。そしたらそのまま頭にコピーされたかのようにしっかりと刻み込まれたと。とても信じられませんでした。この本はとても難解です。私が高坂と知り会った頃まもない時に「神霊正典」を私に見せてこれを読んだらいいですと、この中身をスラスラと、そう神様の名前はとても難しく長いのですが、スラスラと本も見ずにずっとしゃべっているのです。この人は一体何なのだろうかとてもショックでした。私の短い人生の中で摩訶不思議な人との出会いでした。

 

高坂はUFOは呼ぶし、普段の生活は誠に子供っぽいのに、しかし神霊正典や竹内文書の話しにになると目が輝き、本も見ずにスラスラ。目の瞳の色がグレイで変わっていましたので、本当に地球人かどうかを疑いました。当時北海道にいた高坂の母に本当にお母さんが産んだ子ですか?父親は本当にお父さんですか?と真面目に質問したことがありました。

 

シンさんに導かれて高坂はこの世界に入ったと言えるかもしれません。おそらく過去生において何が深い関係があったのかもしれません。祐太郎さん、シンさん、矢代子さん、和導さん、霊人となっておそらく皆で日本の歴史、世界の歴史、宇宙の歴史についてお話しをしているに違いないと私は思っています。霊界物語でなく、霊界通信を是非聞いてみたいものです。