矢野シンさんについて③ | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

我が家の書棚には「神政龍神会資料編集」という本があります。高坂和導が残した本です。定価3万円と書いてある厚手の立派な本です。最初のページには矢野祐太郎さんの写真が掲載されています。この本は1994年に出版されたものですので、矢野祐太郎さんとシンさんが亡くなられた後にご長女の青砥矢代子さんが八幡書店から出したものだと思います。

 

その中には矢野シンさんの若き頃の美しい姿お写真もあります。明治39年にご結婚された時の両家を交えた写真もあります。シンさんは当時20歳でした。シンさんは明治19年11月25日、雅楽川林の次女として北海道小樽区入舟町55で生まれました。結婚前は看護婦でした。20歳で祐太郎さんと結婚、3男1女の母となります。昭和5年頃からしばしば憑霊状態に陥るようになり、さまざまな神示を伝達し、ご主人の祐太郎さんや神政龍神会の経綸論をリードし続けます。昭和13年8月には雄太郎さんが謎の獄死をされますので、祐太郎さんの宗教思想を継承し、「神上げ」「神迎え」などの神事を実践し続けました。祐太郎さんの死後はですから、神政龍神会の中心的な存在でした。

 

高坂和導が東京の等々力不動で見知らぬ白装束のおじいさんから読むように手渡された「神霊正典」の原本である「神霊密書」は昭和7年に完成していましたが、この時期にはもうシンさんも霊能者となっていました。今日書棚を探してみたところ、この神霊密書のガリ版刷りのコピーが出てきました。私の書斎のにずっと開かずの資料であったものです。その前書きはシンさんが書かれています。以前、私は目を通したことがありましたが、シンさんの強い想いに感動したことを覚えています。

 

ここでシンさんの前書きの一部を紹介します。特高に全ての祐太郎さんの神霊密書を没収されたのが昭和7年、そしてシンさんの思いがかない昭和34年に図表が1冊、35年には神霊密書が1冊、シンさんの手元にひょんなことから戻って来たんのです。何と27年ぶりです。シンさんはずっと探し求めていたのです。

 

まえがき

彼(矢野祐太郎)は、中学生の頃から海軍時代を経て最期の時までも、記、紀、上記、天津金木、それに竹内古文書から、天理、金光、黒住、妙霊、大本、福島、九鬼など諸家の文献や、基督教は新旧両派に、佛教は八宗の教理をと目を通しては、思索の日常を過ごしておりました。昭和7年の節分のこと、彼は「今日までに口伝にでも、文書にでも、伝え残していないことを、お前があまりに熱心に聞くので、神もついにお前の熱心さに免じて此点までは教えたのだから、お前は自分の頭に刻み込んだ事を書き残せ」との、ご神命を霊受したのであります。

 

この霊受の直後に、彼から鼻血が洗面器に半分ほども出ましたが、これは神命の業に就く彼の肉体かが浄められてものなのでしょう。それで一両日を休養して五日から口述をはじめました。

 

この時彼が一番困ったのは神名でした。記、紀、にしても御一体である神の御名の称え方が違っているのに、その何れもが神聖差を持って崇称されている有様ですので、この点について神示を仰ぎますと「お前が可しと思う神名でよろしい」とのお言葉があったので、それではという言う訳けでこの神名で現すことにしました。

 

口述に当たっては一枚の原稿も一冊の参考書も用いず、すでに神示されていたものをしゃべったのでありまして、,時偶に言葉がふっと途切れますので彼を見ますと、彼は正座しながら腕組みをしたままで天井を睨んで「ああそうですか、ウンウン」などと独り言を言っていいるのです。それで「天井になにか変わったことがことがあるのですか?」と聞きますと、「ウン、いまあそこに神様が字を書いて教えてくださっていたので、それを読んでいたのだ。」と、また喋り続けて数日間はで口述は終わりましたが、その口述したものを集成したのが此の「神霊密書」であり、「図表」なのであります。・・・・・・次回に続く (シンさんの神霊密書の後書きより)