弥山の巨石群へ | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

先週末は久々に広島から廿日市の弥山に行ってきました。広島の原爆ドームや資料館は何十年ぶりかもしれません。非常に美しく整備されていました。原爆が落とされて今年で76年が経過します。世界中の誰もが知っているHiroshimaという地名。まさに負の世界遺産である原爆ドーム。様々な想いが残された地です。

 

そして被災した1万人もの人々が治療を求めて海を渡った似島は、現在はホタテや牡蠣の養殖地帯となっています。ここにも数多くの慰霊碑等があり、被災した人々が命を失った歴史が刻まれています。

 

広島から電車で25分で廿日市の宮島口に到着、ここからフェリーで僅か10分で宮島に到着します。この厳島神社も世界遺産となっています。現在シンボルである赤い大鳥居は修復中ですので、全く景観を異にしていますが、訪れる観光客は後を絶ちません。しかしその先の弥山まで足を運ぶ人は多くはありません。

 

厳島神社から10分弱で弥山へのロープウェイ乗り場に到着。登山道は3つのコースがあります。今回は往時はロープウェイ、復時は徒歩のコースです。標高535mの山で、古来より信仰の山として知られてます。頂上の霊火堂には弘法大師が修行で使用した火が、1200年たっても燃え続けている火があります。この火は広島平和記念公園の平和の灯火の火元となりました。

 

頂上付近には奇跡の巨石群がごろごろ、くぐり岩のような巨石は古代では山岳信仰として巨石群が神を崇められてきます。くぐり岩の下を通って山頂を目指しまうが、この上部の石と真下の地面との間の長さが年々縮まっているそうです。これは地震の影響と言われています。

 

頂上の巨石にはペトログラフが残っています。古代文字がなぜこんな所にあるのか?かつては高度な文明があったのではないでしょうか。それは他の星からやって来た人々との協働の時代です。丸い石もストーンサークルのように点在しています。他の星の人々とコンタクトする場所でもあったとのではないでしょうか。

 

山頂以外にも下山途中に多くの巨石群を目にしました。これほどの巨石はどうしてここに運ばれたか等を考えますと、現代科学では解明できない地球人と他の星の人々とに交流の証拠としての磐座であることが考えられます。

 

厳島神社の奥の院である御山神社は、山頂近くの大きな岩の上に建てられています。私が訪れますと1匹の鹿が迎えてくれました。鹿は宮島では神の化身です。神代の昔、天照大神の娘である宗像三女神=市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命が降り立った場所として、3つの社殿があります。そしてその背後にも大きな磐座が鎮座しています。ここが厳島神社で一番中な場所なのです。