憧れだった兼高かおるさん | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ
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竹内文書の研究家・高坂和導の遺志を継ぎ、三和導代が古代スメラミコトの足跡をたどり、世界を旅するブログ

三和 導代 です。

 

今思い出すこと数十年前、私の思春期の頃、中学校に上がり、ずっとに日曜日午前中のテレビ番組「兼高かおる世界の旅」を楽しみに一人でテレビを見ていました。もしかすると小学校高学年の頃からだったかもしれません。

 

兼高かおるさんは2019年に90才で旅立たれましたが、私の現在の人生に多大なる影響を与えてくれました、憧れの女性でした。

1959年から1990年まで放送されていた「兼高かおる世界の旅」という旅番組のプロデューサー兼ディレクター兼レポーターこそが兼高かおるさんです。何と30年間に私150カ国を旅され、その世界を私たちに共有してくださいました。

 

当時はまだ誰でもが海外旅行ができる時代ではありませんでした。1ドル360円の固定相場、庶民には手の届かない世界でした。小柄でとても美しい女性が未知の海外の国を旅行し、有名人から本当に貧しいアフリカの子たちの出会いも映像で毎週眺めていました。見たことのない景色もさることながら、非常に様々な多種多様な人々との出会いを映像を通し楽しませていただきました。同時に私もこんな世界を実際に見たい、行きたいという気持ちを強固にしてくださったのが、兼高かおるさんでした。

 

それ以降、私の夢は様々な海外を見たいという希望は消えることがありませんでした。どうしたらいいかと色々考えました。語学も堪能な兼高かおるさんの姿を見て、語学は必須であることも理解しました。私は語学を勉強するのは好きではありませんでした。また得意ではありませんでした。語学は音楽が得意な人が上達が早いことも中学時代体験しました。私はその反対で、音楽音痴で、小さい頃はピアノを習っていましたが、大嫌いでやめてしまった人間でした。

 

しかし好き嫌いは行っては私の夢を達成することはできませんので、手段として語学を勉強し続けました。やはり嫌いでしたので、当時の英語のLL教室では一週間で一番嫌いな時間、時にはお腹が痛くなりました。そんな私ですが、夢のために続けてきたのが私の人生でした。そのお陰で兼高かおるさんを真似た仕事に就くことができ、世界中をこの目で見て様々な人々にであることができました。国数で言えば兼高かおるさんに近い国を回ることができました。

 

でも有名人や要人には会っていません。でも世界中の貧しい子供たち、数多くの民族や部族の人々に会うことができました。私の財産です。コロナ禍で今は国内ですが、これらの体験を多くの人々に伝えたいと今活動しています。そして今は国内を世界と同じように巡っています。個の思考から多種多様な思考、集団の思考で、地球や宇宙を理解する時代なのです。

 

20年以上前に「兼高かおる世界の旅」という旅番組を引退後、旅行業界のツアーオブザイヤーの表彰式で、憧れの兼高かおるさんにお会いし表彰状をいただきたことがありました。こんな幸せなことはありませんでした。夢は必ず実現するのです。また、この体験を自分だけでなく、他の人々に還元していく年齢になったのだと思う毎日です。それが私の使命でもあります。でもこれからも一生私の旅は続きます。