新潟・角田山には政庁があった | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代です。

 

昨年より続けている新潟県です。竹内文書によりますと、日本海に面する角田山には上古18代大斗能地天皇の時代の政庁跡であった記録があります。この角田山周辺では多くの縄文遺跡が発掘されていますが、昨年の4月には日本海沿岸部で最北の角田浜で前方後円墳が確認されています。由緒ある場所に聖なる建築物を建てるのは人間のこれまでの習性のようです。

 

さて大斗能地天皇とは異星人と地球人とのハイブリットと考えたらいいかと思います。10代世襲されています。天皇名は同じですが、皇后の名前は皆違いますので、10人の天皇であったことがわかります。

 

初代の大斗能地天皇は紀伊国の高城宮で、天日道路主の娘と結婚し、富山神明の皇祖皇太神宮で自らが祭主として、即位式大礼を行いました。即位10年、富山皇祖皇太神宮と別祖大神宮の本殿を造り替え、即位60年には越後の蒲原に栗ヶ山大宮を造り、万国政治の仙洞とされました。

 

即位70年、不老不死茶を飲むように定められ、天皇に2皇子が誕生、2児の居所を児島と名付け2児250才長寿されました。

即位100年に譲位され、110年には万国を巡幸。天空浮舟で1日に8,000里を飛行。1日に11,000里も飛ばれた際には、万国の五色人や尊者、民王は「ああ、大日天皇の神通力は尊い。天神のご来光。」と感嘆し拝礼しました。

 

即位125年、奥州の大大湊浜から釜臥峯にご臨幸。皇祖皇太神宮を参拝。天皇皇后自らが祭主となられました。

即位125年7月3日、奥州の恐山大宮でカミサリ、水の神としてまつられました。

 

また大斗能地第2世天皇の時代には万国の地は大変動、泥海に陥落、木に餅がなったいう記録があります。