ワイン好きにしてくださった田崎真也先生 | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

私はお酒好きですが、一番好きなのがワインと日本酒です。今日、私の手元に今日、Shinya Tasaki Wine Club|Webサイトのご案内が届きました。おそらく10年以上前にソムリエの田崎真也さんが経営されていた東京の愛宕山でのワインセミナーに一度参加したことがあるからだと思います。いろいろなメールが来ますので、自動的に消去する毎日ですが、Shinya Tasaki という文字が目につき、私の過去の記憶が蘇りました。

 

もう30年近く前の出来事です。私がまだ派遣会社の海外添乗員をしていた頃のお話しです。アランドロンツアーから学んだツアーの後の話です。某会社より、フランスのワインツアー添乗のお話しが舞い込んできました。それは私が大学でフランス語を勉強していたという経歴からのものでした。しかし世の中の肩書は全くあてにはなりませんでしたが、これはチャンスと思い喜んで仕事をお引き受けいたしました。それは日本でのソムリエではナンバーワンの知名度の田崎真也先生のフランスのワインツアーの添乗員としても依頼でした。私も当時は高坂順代でした。また田崎真也先生もまだ有名になる前、つまり世界一のソムリエのタイトルを取られる前の時代です。

 

その当時でも非常に高額なツアーでした。お泊りもとても素敵なところ、フランスの有名なワイナリーを巡りを巡り試飲、ランチでは田崎真也先生の個人的にお知り合いのワイナリーのオーナーからのお食事のご招待、そして夜はミシュランの★のレストランでディナーと一日超豪華なワイン付けの仕事でした。これはお客様の内容であります。本来は添乗員は昼間からはお酒を飲まないのが通常ですが、このツアーでは堂々と仕事として超高級なワインをいただくことができたのです。それを許してくださったのが田崎真也先生でした。

 

私のフランス語能力よりもはるかにお若い頃から実地で学んだ田崎真也先生には足元にも及ばない素晴らしいコミュミケーションで全てワイナリーでもご招待のワイナリ―のオーナーとのお食事会でも取り仕切ってくださいました。それにも関わらずお客様に対してはわかるのですが、私に対してもいつも腰の低い態度で接してくださいました。年齢は私より1学年上でいっらいますが、そういわゆる世の中のエリートとの世界とは異なった世界、自らの道を切り開いた方で、大変な苦労人のお方です。

 

ワインの勉強のためにパリの日本食のお店で働いていたころにお知り合いになった奥様のころ、長女が難病で亡くなったったご長女の医療費や精神的なことで大変苦労された時代のお話し、そしてその後に生れた次女のお嬢様が日本のフランス語学校で学んでいてとても愛らしくエールフランスで提供されるオレンジナ(つぶつぶオレンジ)が大好きであること等、いろいろお話しを聞かせていただきました。

 

お客様の前でもいつも何もできないそしてワインとお食事をお客様といただいく私をずっと見守ってくださいました。あまりにも高級なワインでしたので試飲と言えども、口から出すことはできず、全部飲んでいました。(笑い) そんな私のことまでお客様の前でも立ててくださいました。こんなにお若いのに何て方だろうととても尊敬しておりました。そして次のツアーでも指名してくださったのです。単に仕事でしたので、仕事以外は連絡を取ることは一度もありませんでした。成田空港に到着しました際には、和服姿のとても素敵な奥様がお迎えにも来ていらっしゃったことを覚えています。パリの下積みの時代を支え、最愛のご長女との大変な時期を過ごされたのがこの奥様だったと思います。

 

それから時がたち、数年後に、田崎真也先生は世界一のソムリエの座に輝きました。テレビか新聞でその情報を知りました。私は心よりうれしく思いました。素晴らしい、田崎先生、おめでとうございますと。その後、田崎真也先生の影響でソムリエの知名度、そしてワインブームが日本の上陸しました。大変な功労者でいらっしゃいます。

 

仕事ではワインとフランス料理ですが、個人的には日本のお酒と和食がお好きであったかと思います。今、思い出してもお若い頃からの地道なる努力と謙虚さはやはり世界中の方々とのお付き合いの中で、もっとも日本的な、つまり我が我がという姿勢でなく、他を引きたてながらのご自身を確固たる信念を貫き通すというに魂の方なのではないかと思います。30年近い過去のお話しですが、ふと今日思い出しました。