三和 導代 です。
縄文時代は母系社会で、婚姻制度もありませんでした。男性が女性の元に通うシステム。つまり男女が共にずっと生活をしていたわけではありません。生まれた子供はその家や集団で共同で育てられました。つまり制度上の父親は存在しませんでした。となりますと自動的に家の主は女性ということになります。
主が住まいを守るのは当然です。縄文の家の中央には常に火をくべる炉があり、常に火の神を守ってきました。縄文時代はアニミズムでしたので万物に魂が宿ると信じていました。ですからもっとも真近かな火に対する畏敬の念は強かったのです。その証拠に火焔式土器に見られる芸術性は世界中でもまれにみる遺物です。これらの土器は全て器用な女性の手仕事でつくられました。現代でも日本人の器用さ、巧の技は世界でもトップクラスです。
主の重要な仕事として食物への感謝の儀礼に際しての特別な器に入れて煮炊きす。これに使用されたのが火焔式土器だったと思います。4つの炎を突起につけた火焔式土器は普段の煮炊きではあまりにも不便ではありませんか。一般の食事のために使用したとはとても考えにくいと思います。
現在、日本では育児ノイローゼ、また経済的または女性が仕事を続けたいがために子供を産まない女性が数多く存在します。社会が複雑化したための現象です。縄文時代では子供は母親だけでなく集団の財産でしたので、皆で育てたわけですから、現在のこのような問題は皆無だったと思います。
私がガーナに滞在していた時、ある専門学校で働いていました。驚いたことに私の同僚の女性は出産するとすぐに生まれたこともを背負って学校にやってきました。もちろん乳飲み子です。学校内での子守りは生徒が交互に面倒を見るのです。生徒も兄弟が多いために子守りの経験は豊富ですから問題なし、学校の校長先生も何も言いません。これが普通でした。またシングルマザーの母親も数多くいました。反対に女性が子供がいないと不思議に思われる社会でした。
半面、子供が授からない女性はとても気の毒でした。つまり子供のいない女性は尊敬される存在ではなかったのです。いくら社会的な地位があっても女性は母親になることで評価が高まるのでした。このような考え方がありましたので子供の数も多く人口増加の原因となっていたのかもしれません。しかし女性が子育ををする上での心配はないように見受けました。家族だけでなく社会全体が子供を育てるという体制だからです。
ですから見知らず子供に対しても大人は厳しく接していました。悪いことをしたら、大人は子供に対して叱る。自分の子供であろうとなかろうと、これが基本でした。今は日本でそんなことをしたら子供の親が反対に文句を言う時代となってしまいました。これも複雑化した社会となってしまったが所以でしょうが、将来を担う子供たちの教育を小さな枠内で考えるのではなくもっと広範囲で考えていきませんと、良き教育はできないのではないでしょうか。