国立歴史民俗博物館はかなり面白い | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

今日は念願の千葉県佐倉市にあります国立歴史民俗博物館に行ってきました。これまでもこの存在は知っていましたが、いつも成田空港の往復時は立ち寄る気力もチャンスもありませんでしたが、ずっと気になっていた博物館です。今朝仕事を終えてふと思い出し、この秋に最後の紅葉のチャンスに出かけてみることにしました。

 

上野から京成で特急に乗りますと、居眠りをしているうちに佐倉駅に到着します。徒歩で15分ですがバスもあります。周囲は緑があふれた自然の中に建設された素晴らしい建物です。こんなに立派であるとは夢にも思いませんでした。もちろん私の主たる目的は縄文の展示ですが、この博物館は歴史民俗を扱っている日本でも最大級の展示を誇っているだけに第1展示室から第6展示室まで広大な広さと展示品です。半日は完全に必要な非常に楽しい博物館です。旧石器時代から現代にいたるまで、一般庶民の懐かしい昔の給食や漫画雑誌まで様々です。

 

最初の縄文で時間をたっぷりとってしまったために閉館近くとなり最後は駆け足状態でしたが、縄文展示以外で最も私の目を引く展示が3点をご紹介します。

 

1番目は河童に関する学術的な解説です。河童についての記述で最も古いのは室町時代1444年の辞書「下学集」とされています。図像として紹介されるのは1712年、最も注目を集めたのが江戸時代で知識人の間で河童に対する関心が高まり、その姿や特徴などに関する情報が流通しました。多くの目撃者や体験者がいたからです。医師で博物学者でもあったシーボルト博士も関心があったようです。

 

私はこれらの数多くの河童の目撃情報からの図像を見た瞬間に河童は異星人であるに違いないと思いました。指が6本の(八戸の合掌土偶も6本指)河童、グレイのような河童、人間より小型で言葉は「きき」とした話さない河童などこれはおそらく妖怪ではなく、他の星から地球への訪問者ですので私たち地球人とは姿は異なるはずです。博物館で河童の展示なんて素晴らしいと思いました。

 

2番目は明治32年に制定された「北海道旧土人保護法」、つまり国がアイヌ人の日本人への同化政策を保護法として制定したもので何と平成9年にやっと廃止されたという驚くべき事実です。そして同年、「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」が可決されたものです。この両方の内容をしっかりと展示していました。

 

3番目は戦後、自分こそ本当の天皇だと名乗り皇位を南朝に返還せよとマッカーサーに手紙を書いたという事例がアメリカで大々的に報道された時の雑誌も興味深いものでした。その中には南朝天皇を称する熊沢天皇とその家族の写真もありました。

 

この博物館は1日いても飽きないかもしれません。沖ノ島での祭祀の様子も興味深いものでした。館内にはレストランもありますし、お弁当を持参すれば野外の自然の中で楽しむこともできるおススメの博物館です。ちなみに入場料は大人600円です。最後は駆け足となってしまいましたが、十分もとをとっても帰路となりました。