伊勢神宮の別宮から三輪の観月祭、UFOの飛来 | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

竹内文書の研究家・高坂和導の遺志を継ぎ、三和導代が古代スメラミコトの足跡をたどり、世界を旅するブログ

三和 導代 です。

 

こんな長い一日はありませんでした。一人旅はいつも私の直感に従って動いていますが、今日ほど強烈にこれが一番の指針で間違いないことを確信した一日です。これを語るには数時間必要です。

 

通常コースの伊勢神宮の参拝を昨日終え、今日は私の今回のメインであります別宮への訪問となりました。いわゆる奥伊勢ですので、人里離れた公共機関では本当に動きにくい土地です。しかし昨日のかつての斎王の苦労された映像を見ていますので、当たり前と思いました。

 

私が目的である瀧原宮と多岐神社に行きつくには、朝6時に出発しながらも方向違いの列車に乗り結局は伊雑宮に行きくことになりました。15分の中で伊雑宮を駆け回り、そして滝原へ。ローカル列車ですので、一日に数本ですので選ぶ予定はないのです。そして滝原に移動、そこからは何と走行距離12キロの行程を徒歩で瀧原宮から多岐神社へというハードなスケジュールです。列車も駅に入線している列車にボタンを押し滑りこみセーフ。

 

なぜ瀧原宮から多岐神社に行くことになったのでしょうか。伊勢神宮の地より実は古代からのこの地の大切な神々が祀られている場所であったようです。今でも伊勢神宮とは比較にならないほどヒッソリと祀られています。がここに行くと、この地を模倣した地が現在の伊勢神宮の内宮であることがよくわかります。

 

そしてもっと大元は三輪山の地でした。本日は10月1日で満月、大神神社の観月祭でした。伊勢に出発する夜中に大神神社の観月祭をインターネットで知り、伊勢3泊の予定を1泊にして三輪を2泊に変更しました。私は予てよりこの三輪の地を非常に大切にしております。三和導代の「みわ」もこの三輪山からの由来です。

 

前日のホテル変更後に、大神神社の観月祭は新型コロナウイスにより一般の参列は不可、神社関係者のみしか参列できないことをインターネットで知りました。しかし私の中では絶対に参列できる確信がありました。10年ほど前にこの観月祭には参列していますが、それ以外にも毎年この地を参拝していますので、この時期に観月祭が私のスケジュールの中に突如入ったのは偶然ではないと確信していたからです。

 

そして今日はその当日。参列するために私は白と黒の正装で18時半の観月祭に奥伊勢の後に急遽支度をして大神神社に向かいました。そして宮司様が祈祷殿に入られるのを見送りし、祈祷殿の前にいましたらとこと、神社の神職の方がまだお席に余裕がありますので、どうぞお入りください。と祈祷殿の前にいた私を含めて全くの一般の私を含めた6人に声をかえてくださったのです。他の方々はええ本当によろしいのでしょうかと寝耳に水のお誘いに喜んで、水やでお清めをした後、祈祷殿へ。一般客を全てお断りしていましたので、参列者は30人にも満たないほどで、私たちにも前方のお席にご案内していただけたのです。私の目の前に鈴木宮司がお座りになっておられました。本当に感謝感激の一瞬です。

 

宮司の祝詞は以前にも増し素晴らしい響きでありました。以前より素晴らしい人格であられる鈴木宮司の素晴らし祝詞に感銘せざるえませんでした。実は鈴木宮司が祈祷殿に向かわれる姿を拝見し私は心の中でご一緒に観月祭に参加さてください、と願っていたのです。そのためにも正装してきたのですら。そして本当に願いが叶ったのです。

 

観月祭の後、神職の方々がお出になってから、お神酒とお団子を頂戴しました。その後恒例の天皇社(崇神天皇)にご挨拶をして駅に向うところ、最後にご挨拶をしていなかった祈祷殿を思い出して戻りました。すると祈祷殿の上には満月の月明りがくっきりと光っていました。そう観月祭ですから。

 

もう参拝者も姿もなく私の前に2人のカップルのみでした。祝詞を上げていたかと思います。そして大神神社の鈴の音がどこからか聞こえていました。満月を撮影しようと思い、カメラを覗くと太陽に周辺に奇妙が動きをする物体を発見。間違いなくUFOです。目の錯覚かと思いカメラから、携帯にスイッチしましたが間違いありませんでした。15分くらい太陽の周辺から三輪山に向かって光の物体であるUFOがずっと移動をしていました。

 

明日は御礼で再度、大神神社を訪問します。早朝の大神神社は格別です。毎年足を運ぶ日本の神社はここ以外私にはありません。この地に深い所以があるのかもしれません。