三和 導代 です。
アフリカのガーナ共和国には様々な民族が共存していますので、文化や言語もそれぞれ、言語は80種近くあると言われています。そのためかつて英による植民地時代が長かった影響で公用語は英語となっています。つまり公式の場、政治や教育の場では英語が使用されています。学校教育でも教師は英語で子供たちを教えなくてはなりません。もちろん家庭内ではそれぞれの部族の言葉を話しています。書き言葉はありませんが、アルファットで表記することはできます。
ガーナは様々な言葉が行きかう世界です。その中でも歴史的にアシャンテ王国が力を振るっていた地域ですので、アカン族の言葉であるTWI語(チュィ語)が今でも一番話されている言葉で、ガーナの人であれば英語とチュィ語が理解できる人がほとんどです。
チュィ語は日本語と同じ5母音です。ラテン語から発生する言葉のように時制と主語によって動詞が様々に変化することはありませんので、非常に機能的であります。文章に明日をつければ未来、昨日をつけれは過去、今日をつければ現在に決まっていますので、主語によってまた、過去、現在、未来形に変化される必要はないのです。私たち3次元世界には時に支配されますが、この次元を離れれば時が存在することを考えますと最先端の生き方をしているかと思います。
世界中に日本語が存在することは以前にも述べましたが(9月8日、9日、10日のブログ)、高坂が滞在していたTAMALE(タマレ)はダゴンバ族の言葉で雨水を貯める貯水池を意味していました。その近いのJORO(ジョロ)は少しずつ水が流れるところ、日本語ではジョウロといいますね。またWALEWALE(ワレワレ)は私たちという意味ですね。ここには2つの部族が共存しスメラミコトの御陵がありました。TONGO(トンゴ)は統合とう意味から来た町の名前です。
その他、MOLE(モレ)は藻が繁殖する川が流れてます。SAWA(サワ)から50m離れた地には小川があります。KOTANFA(コタンガ)は村の名前ですが、アイヌ語でコタンは村という意味です。ASAKRAKA(アサクラカ)や浅くて楽な大西洋沿いの町です。KUSAWGA(クサウガ)は雨期にはうんと草がある場所です。PASA(パサ)はパサパサと乾燥している地域です。
KAPALBISI(カパルブシ)は現地語で橋という意味です。これは日本語の橋(バシ)から来たのでしょう。ガーナの主食のBANKU(バンクー)はバンは山羊などの動物+クーは食べるという意味です。
これらは一例でこじつけだと言われるかもしれまませんが、時の流れと共に変化はありますが、もともとは日本語から一例であります。世界各国のそんな例があるようです。竹内文書の3巻目の日本語が世界中の言語の元となったいう内容の本を読まれた方から、スペインのバスク語にも驚くほど日本が残っているのいうお知らせをいただきました。地名に残された日本語発掘の確立も一つの方法であることは間違いないようです。