古代ローマ以前のエトルリア | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

昨年、10月下旬より11月上旬はイタリアの旅をしました。イタリア半島中部のローマらから北部のトリノ、そしてダマヌールのコミュミティの旅でした。ローマは本当に何十年と言いますと、私の年齢がばれますが、少なくとも20年以上は行ってませんでした。ローマは世界的な観光地ですので、あえて避けていたのかもしれません。

 

そして久々のローマ、それより古代ローマ以前のイタリア半島中部にはエトルリア人が紀元前の13世紀から12世紀までこの地に居住し、素晴らしい文化や美術を残していました。実はエトルリア人のルーツはまだわかっていません。東方からやってきた、そう西アジア方面からという説もあります。古代においてギリシャ語やラテン語とは異なった独自の文字を持ち、石碑や文献などにもその文字が残っていますが、まだこれも正式に解読されていません。

 

エトルリアの社会でも男性よりも女性が主導権を持っていたようです。ネクロボリス(お墓)から発掘される遺物や壁画から推定できます。また死後の世界を信じ、お墓には数多くの生活用品、芸術品を残しています。3000年近く前のお墓とは思えない色鮮やかなそして生き生きとした世界が描かれています。彼らの死生観は現在のヨーロッパの一神教であるキリスト教、またはそれ以前のギリシャでも死生観と異なっています。つまりエトルリア人は死後の世界が存在することをよく知っており、現世での生命が永遠に続くようにネクロポリスを造ったのです。

 

そのような意味では日本人やエジプト人と近いと言えるかもしれません。私はこのようなエトルリア人の知識がないままにイタリア旅行にでかけましたが、なぜかローマにいた際に私の予定外に結局私が訪れることになったのはエトルリア人に関する博物館や遺跡でした。

 

そして私はこのローマの旅の後にダマヌールに訪問、そして帰国後すぐにダマヌールの過去世リサーチにより、私は紀元前8世紀にこのイタリア半島の中部の神殿にいた女性であったことがわかりました。つまり全く古代ローマ時代の知識が全くなかった私ですが、かつても私の故郷に呼ばれて行き、その歴史の実態を自分の目で確かめ史実を知ることが必要であったのです。ですから想定外の場所に結局は行くことになったのです。

 

今日は来週のセミナーの準備と共に、このエトルリア時代についてもって深く掘り下げてみたいと思いました。モーセとロムルスの時代も数百年の差はありますが、歴史の数字はマジックですので、あまり気にしないようにと思っています。その証拠として縄文時代もここさかのぼったこと数十年間でどれだけ古い数字にさかのぼったことかわかりません。

 

来週の水曜日を乞うご期待。素晴らしいエトルリア文化をご紹介したいと思います。