ヤマトへの珍道中 | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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竹内文書の研究家・高坂和導の遺志を継ぎ、三和導代が古代スメラミコトの足跡をたどり、世界を旅するブログ

三和 導代 です。

 

長らくお休みをしてしまいました。12月20日より私の大好きなヤマトへ旅をしておりました。先程戻りました。本来は毎日ご報告をしたかったのですが、私のドジがまたまたでてしまい、パソコンの電源を自宅に忘れてしまいましたので、4日間の充電の限られたやりとりを強いられ、ブログの更新までできませんでした。いつものことながら本当にドジです。

 

私の人生は旅ですので、海外から帰国して今は自由に活動ができる状態となりましたので、大元の日本を探るべき国内を回るのが日常となりました。どうしてそんなにお金がという疑問があるかと思われますが、基本的には長距離は全てマイレージを利用しています。また私はアフリカ生活が長いために宿泊施設のお金をかけることはしません。さらにペーパードライバーですので、もっぱら交通機関は電車やバスです。しかしもちろん不可能な場合にはタクシーを利用します。

 

こんな一人旅はハプニング続きの本当に人生を多いに楽しませてくれる国内歴史探訪の旅であります。私が一番興味がありますのは縄文の東北の地と、私の名前の由来となった三和(三輪)の地であるヤマトであります。何度足を運んでも私の魂が喜ぶそして潜められた歴史の地であります。朝から晩まで休むことなく、探求します。今年も3度目の訪問となりました。

 

私は旅のプロですが、仕事の場合には丹念にプランを練ります。しかしプライベートの場合には、目的が違いますので、自分自身の体を自然に任せます。つまり私が必要なとことに行かせていただき、そして学ばせていただきますので自分の直感に全てを任せるのです。

 

そうしますと不思議な事に車もない私、そして地方では電車やバスの本数の少ない地方でも驚くほどの場所を訪ねることができ、そして大切な人々に会えるのです。つまり計画なき、でも目的をもった旅であります。これほと楽しく収穫の多い旅は実はありません。

 

今回の旅は大阪伊丹空港往復の旅でしたが、訪問地は大阪、名古屋、そして私の大好きは奈良でありました。今回は司馬遼太郎の街道を行くを参考にいたしました。雄略天皇陵、竹内街道、葛城古道、山野辺の道、大倭神宮とこの短い間に駆け足でしたが、全て回ることができました。もちろん三輪山のご神体とする大神神社は私の恒例の訪問地でありましたが、また新たなる大発見がありました。

 

ブログでも書いていきたいと思いますが、締め切りの迫った月刊誌玉響にまとめて原稿を書きたいと思っています。大阪や奈良には今年も世界遺産となった古墳、つまり天皇の御陵がありますが、現在天皇の名前は伏せて別名で期しているすね。それは正解かもしれません。どうも天皇陵のお名前と実際の天皇とは異なった御陵が多いように思えてならない旅でありました。