ラオスでお正月 | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

ラオス2日目です。日本からラオスへは直行便はありませんが、乗継便でも同日に到着しますし、日本とは2時間の時差しかありませんのでのでアフリカへの長距離フライトに比べますと体は楽です。

 

本日は首都のビエンチャンの観光後北部の町ポーサワンへ航空機で移動、ジャール平原にやってきました。ここはベトナムの国境近くでかつてベトナム戦争時に枯葉剤が散布され、爆撃され多くの人々が命を失ったところだそうです。山々はベトナム戦争後すでに40数年が経過しますが、未だにはげ山のままです。

 

この北部にはたくさんの少数民族が生活しています。ラオスはラオ族を始めとして50の少数民族が生活をしています。私たちより小柄な人々が多く穏やかや人々です。昨日、ラオスに到着しましたが、何とラオス歴の1月1日だったそうです。今日は2日ということで、このジャール平原に残る謎に包まれた無数の巨大な石壺のある世界遺産(今年の7月に新たに認定されました。)には民族衣装を着た若い人々が記念撮影に沢山きていました。ラオス暦を使用している少数民族にとってのお正月です。

 

お正月を想定しての旅ではありませんでしたが、国内線も満席、ホテルも満室で民族大移動の時期であったようです。そのおかげに私が非常に興味をもっている少数民族の伝統的な衣装を着ている人々に沢山であることができました。

 

ジャール平原の石壺は今から2500年ほど前のものだそうですが、何ために作られたのかは未だに謎です。焼酎をつくっていたのだという説がありますが、それにしては数があまりにも多いのです。3か所の大きな平原に点在しています。ここはまだ日本人には知らていない場所ですが、私が一番訪れたい場所でした。そしてちょうどお正月とは夢にも思っていませんでした。

 

明日の少数民族の村巡りも楽しみです。そしてラオスの古都であるルアンパバーンへ向かいます。