前方後円墳を求めて大阪へ | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

昨日から大阪に入り、今日は本来の目的である名古屋に入りました。ダマヌールの古代エジプトセミナーを受講するとためです。毎回、名古屋に来る際に奈良県など私の好きな気になる所を一緒に巡っています。

 

今回は大阪、それも先日世界遺産に登録が決まった堺市の百舌鳥古墳が目的でした。6月にコンゴ共和国に渡航した際にご参加者のお一人が堺市出身で、盛んに世界一大きいといわれている仁徳天皇陵について、大きな疑問を抱かれていることをずっと語っておられたのが印象でした。あれは仁徳天皇陵ではない、証拠も沢山でてきているのにどうして歴史は変わらないのでしょうか?という素朴な疑問でした。

 

フムフム、天皇陵に関しましては宮内庁はタブーの問題ですので、証拠があろうともずっと口を閉じてきました。仕方ないことでしょう。歴史がひっくり返ってしますのですから、やすやすとは公表できないのです。

 

コンゴ共和国でそんな話を聞き、そして今月に何とこの仁徳天皇陵が世界遺産となったというアナウンス。是非、見たいと思い、関西空港に飛び、仁徳天皇陵や堺市立博物館へ。ほとんど勉強不足の私はここで、世界遺産はこの堺市の百舌鳥古墳群の他に古市古墳群も含まれていることを知りました。

 

何とここは奈良の三輪へと続く竹内街沿いに竹内文書とも深い縁のある雄略天皇陵、仲哀天皇陵、応神天皇陵があることを初め知り、ここはどうしても行かなくてはと、また電車を乗り継いて古市古墳群へ。藤井寺駅から暗くならないうちにと必死に歩き、仲哀天皇陵そ応神天皇陵、そして誉田八幡宮を通り、竹内街道の通る古市駅までという思いがけない行程となりました。

 

仲哀天皇の外堀からは何と三輪山から見えるあの二上山がくっきり見えるではないでした。以前は奈良県側の竹内街道や二上山を眺めて、大阪の方へとつながっているとは聞いていましたが、まさか今回反対側に来ることができるとは夢にも思っていました。

 

かつて堺の港へ大陸から渡ってきた人々がこの竹内街道を通り奈良の三和の地に入っていたのだと思います。この近くに日本では最後の前方後円墳が数多く残っているというのは一体どういうことでしょうか。前にも書きましたが、ダマヌールのオープン神殿も前方後円墳と同じスタイルです。

 

前方には石棺が埋められその上に沢山の埴輪が発見されていました。この古墳を作るにあたっては大きな祭祀が行われていたようです。古代の人々は誠に信仰熱き人々であったのでしょう。死後の再生を願った古墳であることは間違いありません。

 

私は世界中を回っていますが、実は大阪の地図は全く理解しておらず、JRや近鉄、地下鉄駅は異星人状態。大阪、あべの、天王寺という大きな駅の関係がやっと理解でき、ここから神戸、京都が近いこともフムフムと電車に乗りながら学びました。実は大阪に宿泊するのは20年ぶり、その前は記憶にはない全く素人でありました。大阪の漢字の地名は難しいですね。本当に日本語?と思える地名がいっぱいでした。

 

これを機会にまた大阪に行きたいと思います。今回行き残したところが沢山ありましたのでので。そして実は今日は万博記念公園にある国立民族博物館に行ってきたのです。時間が来ましたので、続きはまた明日に。