徐福の終焉の地と太神社の奥宮 | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

昨日から1泊2日で山梨県の富士吉田の明見に行って来ました。小明見と大明見です。

 

今回は大明見にある不二阿祖山太神宮の渡邉大宮司のお話を聞くことが一番の目的でした。しかしいつもこの地を訪れた際に行く場所があります。それは小明見にある太神社であります。麻呂山の人知れずところにひっそりと鎮座されるは神社には天照皇太神が祀られていましたがここに御祖代山杓子山の皇太神の奥宮が置かれるのが紀元後306年、竹内宿禰の勅使によるものでした。

 

この太神社の左手には徐福のお墓が建てられ徐福神社として祀られた由緒ある場所であったのです。実はこの歴史を私はずっと知ることがなかったのですが、宮下文献(神皇記)や不二阿祖山太神宮の渡邉の大宮司の書かれた「神々の祈り」の中で初めて知りえた歴史であります。

 

この17年間全く知りえず、探し求めていた重要な歴史が私の中でとてもクリアーとなりました。なぜ高坂和導が最後までこの地にこだわり達しえることが出来なかった地であります。竹内文書の研究家がなぜ最後にこの宮下文献とご縁の深いこの地を度々訪れたのかの謎が今回やっと解けたのです。

 

4月13日の太神社はとてもお掃除が行き届いたすがすがしい中で参拝されていただきました。そしてその麓に咲く桜は満開、私の心も穏やかに春を迎えることができたのです。

 

4月14日は自転車にて大明見と小明見の宮下文献(神皇記)や不二阿祖山太神宮の渡邉の大宮司の書かれた「神々の祈り」の中に解説される神社をまわりました。2日間穏やかでな天候と富士山の晴れ上がった姿と私のすっきりと晴れ上がった心はルンルンの春の素晴らしい旅となりました。

 

40年間研究を続けてこられた渡邉大宮司から勉強させていただき感謝感謝です。隠されたれ歴史の謎解きはこれからもやめられそうにありません。これをどのように皆さまにお伝えしていくかが私の課題でもあります。

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