自転車で持統天皇ゆかりの地へ | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

今日は名古屋を後にして一人旅。私の人生は仕事も私生活も旅、旅、旅の連続です。仕事をはずれてもやはり旅にでたくなる。なぜって、本当の本当のことが知りたいからの一言に尽きます。

 

そう、直感の旅ほど面白い旅は実はないのです。仕事も趣味も旅、楽しい人生です。

 

関西方面に来た際に必ず訪れる場所は三輪の大神神社です。ここの参拝は早朝に限ります。つまり三輪に宿泊するか、東京からの夜行バスで早朝に奈良に着いてその足で参拝するかのどちらかです。

今回は三輪です。

 

さて名古屋を離れて今日はどうしようと思った時、日本の女帝で旅から旅の天皇であった持統天皇のゆかりの地にいってみたくなったのです。

 

昨日ダマヌールで学んだ魂の秘密の話の中での人間のパーソナリティに言及した際に、私のように旅から旅の人生を送っていた持統天皇のことを思い出したからであります。

 

持統天皇の行幸の記録は半端ではありません。なんと不二(富士)のまで足を運んでいる資料まであるではないですか。持統天皇のような旅好きな人は日本のルーツを知りたい知りたいと思ったに違いなかったはずです。そしてその痕跡を求めて不二(富士)に行ったとなりますと、歴史は覆されるのです。

 

持統天皇の時代は藤原京の都市を作りましたが、大陸からの影響をまともに受けた、本来の大和を維持することができない困窮の時代でありました。そんな時代に必死に大和の国を守りたいという人々の想いがまだこの地には残って入りうような気がしてなりません。

 

そう、持統天皇よりももっと前の時代、つまり崇神天皇の時代にはが異国人があふれるほど移住してきた記録が物語っているかと思います。

 

そう、香具山の頂上に今日上がりました。天香山神社は麓、頂上には国常立神社がありました。そこは畝傍山が正面に見える絶好の場所であります。

 

そして藤原京の南部は神飛騨町、さらに中央の小高い山の日高山には地元の人に全く認知されていない八幡宮がひっそり佇んでしました。

 

どんな想いで持統天皇が藤原京を完成したのか・・・・・・