モーセはヒクソス出身? | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

モーセはもともとどこからやって来たのでしょうか。紀元前2000年の前半にトルコからアジア系の民族がエジプトのデルタ地帯に侵入してきました。ヒクソスの人々でした。ヒクソスとは「異国出身の支配者たち」を意味しています。彼らは武力に優れ、エジプトに戦車や騎馬を持ち込んだと言われています。謎多き民族です。

 

その後紀元前1570年頃、テーベ(ルクソール)を中心とした上エジプトを治めていたアフメスがヒクソスを攻めて、ヒクソスの人々をデルタ地方から追い出して第18王朝を築きました。その時のヒクソスにはファラオという名の王とモーセがいました。彼らは優秀な支配者であり神官でありました。彼らはエジプトのデルタ地帯から一族を引き連れて、現在のイスラエルの地に移住するのです。

 

ここでヘブライ人は初めてイスラエルの地に入るのです。映画「十戒」ではモーセがエジプトで育つ時代のファラオはラムセル2世といった設定で描かれているかと思いますが、これは洗脳であるかと思います。時代が異なります。元々イスラエルの地にヘブライ人がいたという歴史をもう一度見直す必要があるのかもしれません。そうなりますとイスラエル建国の正当性が失われてしまうのです。

 

竹内文書でもモーセの来日は紀元前1570年となっていますので、年代はぴったり合うようです。モーセは元々イスラエルにいたヘブライ人ではなく、ヘブライ人とはモーセが出エジプトをして民を引き連れてから誕生したした人々のことで、元々はアジア、トルコ、エジプトからやって来た人々であるかと思います。

 

私は一連の流れからヒクソスはイスラエルとエジプトより東方からやってきた人々であることは間違いないと思っています。さてその東とは一体どこのことなのでしょうか?