三和 導代 です。
長いことアメブロをお休みしておりました。昨日、エジプトから戻りました。6年ぶりのエジプトでした。
山盛りの収穫があり、どこから書いたらいいのかわかりません。早朝から夜遅くまで本当に良く回りました。これほど充実したツアーも珍しかったかと思います。そのためブログを書く時間もなく申し訳ございませんでした。
旅行はメンバーによって大きく作用されます。最初から最後まで笑いの絶えないツアーでした。私にとりましてはもう10数回目のエジプトとなりましたが、これほど中身の濃い旅行はなかったような気がします。
30年までに初めてエジプトのカイロに着いて、見知らぬ男性からカイロのナイル川を歩いていた時に声をかけられ、何度も何度も振り切りながらも、結局はこの人の住む家族の家に1週間お世話になることになるという結末、現在ではあまりにも無謀な女性バックパッカーの行為であったと思いますが、ラッキーなことにこの家族は本当に本当に親切な家族だったのです。
ギザのピラミッドのすぐ近くの家は残念ながら、政府がフェンスを作ったためにおそらくそれに引っ掛かり立ち退きとなったのではないかと想像されます。お世話になってから5,6年後くらいに再訪した際には会った家が、それから数度見に行きますが、もう姿かたちもないのです。でもエジプトに行く度に思い出し、今回も最終日に確認しに行きましたが、やはり30年までの家と家族は過去となってしまいました。
ドラえもんのタイムマシンがあればどんなに良いことか。私がエジプトが大好きになり、何度も何度も行くのはこの家族との出会いがきっかけとなりました。アフリカ大陸初の地がエジプトだったのです。それから私は何十回とアフリカ大陸の地を踏むことなりました。
ピラミッドの目の鼻の先のこの家には私に声を変えた青年と、まだ小学生の妹と、お母さんの3人暮らしでした。主はサウジアラビアに出稼ぎにいっているとのことで、英語が通じたのは私に声をかけてきた青年のみでした。妹とお母さんはアラビア語のみで、身振り手振りのコミュニケーションでした。ここに1週間滞在させてもらいました。近くには親戚も多く、家庭訪問をしたり、カイロの動物園に連れて行ってもらったり、極々普通の現地の人々の生活を体験させてもらいました。
お食事は毎日おいしいお母さんにお食事、おでかけは一人では決して許されず、いつも妹が同行です。ちょっと近くのピラミッドへと思っても危ないから一人でだめと言われ窮屈でもありましたが、毎日は本当に楽しい生活でした。もちろん無料です。どうしてこんなに私に親切にしてくれるのと尋ねますと、べドゥインはいつでも旅人を快く迎えるのですよ。といういう答えでした。
ずっとここにいますと当時のアエロフロートで購入したカイロ着、ワルシャワ発の航空券で帰れなくなっていしますので、涙涙の別れで家族と離れ、シナイ山のあるシナイ半島へのバス移行となりました。
このギザのピラミッド近くの家族とので出会いは私の人生を大きく作用する出来事でした。