小麦畑の続く西オーストラリア | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

クリスマス島から戻り、昨日はパースから東に350キロ離れたwave rock に行ってきました。

 

このところの地球環境の変化により、本来10月から雨季となるクリスマス島も今年はほとんで雨が降らず、島民もアカガニもカラカラの状態でした。そしてここパースは本来の乾季ですので、大地はカラカラ、舗装された道をドライブする両側には小麦畑が広がります。この季節は収穫が終わり稲は100%刈り取られています。誰一人として働いていません。

 

日本のうどんの小麦粉はほとんどオーストラリアの小麦粉とのこと。日清製粉も買い付けによく来るようです。これだけ広い大地ですので相当量が収穫できるはずです。小麦倉庫も多く見られます。そして民家はほどんどありません。2階建ての家など皆無で、平屋の煉瓦作りの家で生活をしています。2階建てにすると建設費も高くなるとのこと、そう土地はこんなにあるのですから。

 

そして街道沿いには何とオーストラアには700種のユーカリがあるとのことで、ずっとユーカリの木々が続いています。その中でコアラが食べられるのはたったの20種のユーカリの木です。ユーカリはとても強いそして生息が早い木です。大地を焼いてもそのまま残ります。根元が黒いユーカリ大地の草を焼いた後の証拠です。

 

この地にはもはや先住民のアボリジニは1%しかいません。すべてアボリジの土地でした。そしてここに移住してきたのはイギリスからの囚人だったのです。まだ200年も経過していない国です。アボリジニは政府から生活保護費をもらり、都市郊外に居住しています。アルコールを飲みながら・・・