ベナン最大のダホメ王国 | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

ベナンに滞在しています。ベナンは1960年にフランスから独立した西アフリカの国です。41の部族がそれぞれの言葉を話す小さな国です。植民地時代にはそれぞれの部族が数多存在していました。その中でも最大の力を誇っていたのがダホメ王国でその首都がアボメイでした。

 

現在アボメイの宮殿には21人いた王様の中で2人の王様の宮殿だけが残っています。そしえユネスコの世界遺産となっています。17世気に現竿のトーゴからやって来た兄弟がそれぞれ王様になりたくて3つの王国をつくりました。アラダ王国、ポルトノヴォ王国、そしてダホメ王国です。

後にアラダ王国はダホメ王国に征服されます。ポルトボヴォ王国はフランス植民地時代、そして独立後も続いた寛容な王国で25人の王様が一つの同じ王宮に住んでいました。

 

さてダホメ王国はポルトガル人と奴隷貿易をし栄えました。奴隷は別の大国と戦い、奴隷となった人々を公益相手のヨーロッパ人に取引材料として引き渡し、変わりに武器などを入手しました。大砲1基は若い男性15人分、きれいな女性21人に相当したと言われています。

 

この人々がウイダーの港から奴隷として、ブラジルルやはハイチなどのアメリカ大陸に送られました。現在でもベニンとブラジルの文化がいかに似ているものかをウイダーのポルトガル人の要塞内の博物館にて2日前に見てきたところす。

 

王様は絶対なる権力を持ち合わせていました。一夫多妻制の典型的な例で、何十人も何百もの妻にしました。産めよ増やせよの典型的な例です。長男が王の後を継ぐのが決まりでしした。しかし新しい王となった場合の王はそれまでの子供の中の長男は選ばれず、王に就任後に生まれた長男が王となる権利があました。そしてその母親はアボメイの女性ではなく、たの部族に血を引いた女性でした。それは今後も他の部族にまでダホメ王国の権力を広めるのが目的でありました。

 

想像に絶する社会でした。同じ人間がこのよう場合にいくら違う歴史的背景においても、このような侮蔑的な行為を同じ人間が地球人がいたということは事実でした。

 

 

 

 

 

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