高坂和導祭へ不思議なプレゼント | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

今日は各地で秋祭りが秋開催されています。今日は木更津に来ています。アクアラインのマラソン大会と地域のお祭り、そして神人さんの講演会場からは富士山が真正面に一望できました。

 

そう16年前のこの日の日曜日が高坂和導の葬儀の日であったことを鮮明に覚えています。今日も地元の川口でもお神輿がでて、チビっ子が参加の盛大なお祭りだったようです。

 

さて、17日の和導祭には私には驚きの方々が3名様、静岡県袋井市からご連絡があり、ご参加いただきました。ダマヌールのメンバーである浜松市在住の男性の方からのご縁でした。

 

袋井は高坂和導が1999年から2000年にかけて言われなない理由で命を狙われ、身を隠していた時代があります。未だに私はその正体が不明ですが、本当に高坂にとりましては絶体絶命の時代でした。家族とも一切連絡も取れずに身を潜めていました。その場所は袋井市と山中湖でした。その時に4か月間かくまってくださった袋井の家族が3名様、ダマヌールのメンバーの方連絡をしてくださった方です。

 

私は高坂が袋井にずっと逃げていたことは高坂の死後に自宅のホウリンのカルテや彼が書き残したノートやスケッチブックで読んで知りました。それまで全く知らなかったのです。どんな家のお世話になっていたのだろうとずっと気になていました。そして御礼もせずにこれまで来てしまったのです。

 

袋井は神人さんの本の出版社がある場所です。とても気になっている場所でした。そのまま今年の6月に2度目に神人さんの講演会に出向いた際に実は住所はわかっていましたので、近くまで行きましたが、御礼を言う勇気もなくそもまま帰ってきてしまったという経緯がありました。

ああこんな立派なお宅でお世話になっていたんだ。。。。と

 

私が御礼も言えずに失礼していまていた方々が何と、高坂和導にお越しくださったのです。何という取り計らいでしょうか。高坂の息子と私は本当に心より御礼を申し上げることがこの日にできたのです。

 

私の心のしこりも一つ消えた日でありました。高坂が倒れた木更津で富士山を見てまた不思議なご縁を思い出しました。