国常立大神様の故郷である富士の地へ 続き | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

富士吉田市小明見にある太神社を後にしましたのはもう夕方の4時を回っていました。駐在所まで徒歩で戻り、タクシー会社に℡をしたところすぐにお迎えが来てくれることになりました。

 

日が短くなってきた昨今ですが、第2の目的地である富士吉田市大明見にある不二阿祖山太神宮へと向かいます。夕刻ですから、今日は少しばかりお邪魔させていただく予定でした。駐車場を降りまして、参拝のために階段を上がって境内に入りますと、神社内の関係者の方と思われる男性が私の声をかけてくださいました。

 

「ちょうど社務所を閉めたところですが、ご案内しましょうか?」何とご親切なお言葉でしょうか。厚かましく、「ええ、お願いします。」

18年前にここの建設が始まり・・・・・三つ鳥居、エネルギーの流れ、富士古文書、渡邊大宮司のお話しなど、秘書であられる川井氏が事細かにご説明くださいました。もちろん、川井氏には小明見の太神社のこともご存知でした。宗教法人となりますと、やはりどうしても一歩引いてしまうのですが、森の中に再構築されました日本人の心の故郷である富士山を仰ぐ地に残る、磐座にもご挨拶でき、感動のひと時を過ごさせていただきました。

 

そして帰りは川井氏の車で蓮池の総本部へ立ち寄らせていただきました。そこでは運よく、渡邊大宮司とお目にかかることができ、お話をさせていただくチャンスに恵まれました。古神道の元々の姿に私たち日本人が目覚めていく時期に来たこと、その過程におきましては外国の方々を巻き込みながら日本人にも目覚めていただくという手法、私がこれまで考えてきたこと同じでした。そして宗教の大元の神様のお名前の多様性、古代の日本人が姿に回帰していくための米作り、そして感謝の心・・・・・

そして我々地球人のルーツなどなど、本当に大きな枠の中でのお考えに共鳴させられました。

 

そして14日(日)の収穫祭に再度お邪魔させていただくことをお約束して、また車で富士山駅まで送っていただきました。不二阿祖太神宮のお話しはヒカルランドでツアーやセミナーを担当されている高島敏子さん、そして富士の地のお住まいのミュージシャンである瀬戸龍介さんからお話を伺っていましたが、10月10日というぞろ目の日に不二阿祖太神宮を参拝でき、そして渡邊大宮司とお会いできましたことは素晴らしい出会いに感謝感謝であります。

 

数日後に17回忌を迎える高坂和導が1999年から2000年にかけてこの富士の地に身を隠し、国常立大神様が世の中に再びお出ましになることを願って、太神社の再興を願い、その直後に他界してからもう16年の年月が経過しました。

 

私は今、またこの太神社が見直され再興されますことを願って、14日にはまた明見の地に行かせていただきます。