国常立大神様の故郷である富士の地へ | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

昨日は10月10日、ぞろ目の日でした。我が家の主祭神にお祀りしておりますのが、国常立大神様であります。

これは私が高坂が亡くなる前に2002年の9月8日に我が家のお連れした神様であります。

 

現在の私であれば形は不要と分かっているにも関わらす、この神様の元宮のことはもちろん忘れることはありませんでした。

この元宮が富士吉田市の小明見の太神社であります。今でも地元の人々に守られている場所ですが、高坂が亡くなって16年経過しても全く変わらない神社です。つまり一般の人々から完全に忘れ去られた神社であります。

 

しかし昔ながらの地元の人々によって辛うじて守られている神社であります。

 

私自身数年ぶりに訪れることが出来ました。しかし、新しい住所表示となり、新しい道が建設されていたために、ここに辿り着くには至難の業でありました。全く昔と変わらぬ、本当に寂れたという表現がピッタリの神社です。そしてお祀りされている神様も全く同じでした。こっそりと本殿に入らせていただきました。そこには、日の丸の旗が2本残っていました。そう、その日の丸の中央には今では忘れてしまわれた貴のマルチョンが入っていました。16年前に高坂が残した国旗がそのままきれいに残されていました。まさにそのままなんです。勝手にこの国旗を開いて記念撮影しました。そして誰もいないこの空間で、ずっと祈らせていただきました。ご神木もそのままです。

 

さて、実は当初の太神社に辿り着く前に、何とは蓮池近くの不二阿祖山太神宮の総本部の建物を見ることになります。しかしどうしても第1の目的であります太神社に行かねばなりませが、迷いに迷ってしまったのです。結局この蓮池から太神社まで、ほんの僅かな距離でありながらも1時間も迷って太神社に辿り着いたでした。数年ぶりで訪れ、道も整備され、また住所表示も変更になっていたことも理由の一つでした。参拝が終わりましたら、既に4時近くとなっていました。

 

 

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