縄文の丘 北小金貝塚 | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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北海道伊達市は白老町と洞爺湖の間の太平洋の噴火湾の東岸にあり、有数の貝塚分布地として知られる北黄金貝塚があります。

 

縄文時代前期(約6,000年前)の台地上の貝塚と低地遺構を中心とした集落遺跡です。小高い丘の上に並ぶ白い貝殻が目を引きます。6,000年前は現在より温暖で、海岸線も貝塚の丘のすそまで来ていました。

 

縄文人の墓は手足を折り曲げた状態で人骨が残っています。墓の上には土器や石皿が備えられています。発見された14体の縄文人の人骨は、北海道で今まで見つかった中でも最も古いものです。

 

近世アイヌ人の骨格はこの時代の縄文人の人骨の骨格をほとんど変えることなしに至っていることがわかりました。