コートジボワールの悲劇 | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

コートジボワールに到着して6日目をなりました。ネット環境がよくないために更新できませんでしたが、アビジャンに戻ってきました。

 

この国の首都は実はアビジャンではなくヤムスクロです。初代の大統領であるボワニ大統領の故郷です。1983年にアビジャンより首都となった町です。

 

コートジボワールは1960年に独立後、ボワニ大統領の政権が33年続きました。西アフリカの

優等生として西アフリカのパリとして経済発展を果たした国です。

 

しかしながらボワニ大統領の死後、この国はどんどん下降してきた典型的な指導者の良しあしによって国情が変化する国の象徴となりました。

 

2002年より10年間はフランス人はもちろんのこと日本人も国外退去をせざる得ない大危機を迎えました。やっと復興が始まったコートジボワールです。知らぬ間に隣国のガーナに経済発展が抜かれてしまった悲劇のコートジボワールです。