首里城以前の琉球王国の都・浦添城 | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

那覇市に隣接する浦添市西部はアメリカ基地となっています。

金浦市に琉球王国時代の首里城以前の都であった浦添城があったところです。

浦添グスク(城)は首里城以前の中山王城として知られています。発掘調査から十四世紀頃の浦添グスクは、高麗系瓦ぶきの正殿を中心に、堀や石積み城壁で囲まれた巨大なグスクであったと考えられています。のちの王都首里の原形がここでできあがっていたようです。

私が訪れた際にはこのグスクの近くのようどれ館でビデオを見ていたところ、浦添市役所に勤務となった新入公務員約20人が浦添市の歴史を学ぶためにマイクロバスでやってきました。

歴史に詳しい講師役の市の職員が私にもし興味があれば聞いてくださいと声をかけてくださり、私はありがたく新入公務員と一緒に浦添市の歴史を学ぶ機会を得ました。1人旅ならではのことです。

この高台にある城跡ではかつて日本軍が最後までアメリカ軍と戦った激戦区でもありました。日本にとっては歴史ある重要な場所であったところでしたのでアメリカ軍もどうしても打ち破りたかったことと思います。

沢山の日本軍の慰霊碑がひっそりと高台の見晴らしの良いところに祀られていました。とても古くなったお社でしたが、まだまだ魂の休まらない人々がいるような気がしてなりませんでした。若くして亡くなったのですから、当然のことかも知れません。

地球上の人間はいつまでこのような愚かな行為を繰返すのでしょうか。