ペルセポリス | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

ペルセポリスはイラン最大の見どころで、中東の遺跡の中でも非常に人気高いところです。ヨルダンのペトラ、シリアのパルミラ遺跡と匹敵する遺跡です。しかし歴史は古く、アケメネス朝ペルシャ時代の紀元前520年からダレイオス1世により建設が始まったところです。

当時の行政の首都はスサでした。そして宗教的な都がここペルセポリスでした。スサに残るアパダナ(謁見の間)と全く同じサイズ、同じ造りの間がありました。

遺跡の中に列柱の上に飾られていたと思われる人面有翼獣の胸には16条菊型紋がはっきりとついていました。

ペルシャのシンボルは菊紋です。16弁ではなく12弁です。これは1年が12か月であることを示しているとのことです。イランの国内のどこでも見られる紋章です。

しかしエラム王国時代、アケメネス王朝時代の一部にはなぜか16弁の菊型紋が使用されているのです。イラン考古学博物館に残るペルセポリスの神殿にも16条菊型紋が見られました。