西東雑論 -42ページ目

「危険物の取り扱い責任主は誰か?」

  危険物とは、周りに危険を発生させる物である。人間の生活は、この危険物に取り囲まれている。一番危険な危険物は、刃物であろう。これさえあれば、物を握る事の出来るようになった赤ちゃんですら、人を殺傷する事が可能になってしまう。流石にこれは極端な話だが、同じように日常生活に不可欠な車もそうである。これは要免許である。さて、一般的に危険物と言えば、毒物、劇物、薬物、科学物が挙げられる。これらを取り扱うには、同じく当然に要免許である。また、財産に関わる契約、身体生命に関わる医療、法に関わる裁判も、意義を広げれば危険物の範疇に入れられるであろう。その執行者となるにも、契約の責任者となるには、免許が必須になる。要免許となれば、その責任者は、その免許交付者である。しかし、前述に挙げた刃物の他、日常生活には、その使用によっては、人を殺傷し得る道具に変わってしまう物が、多数ある。このような物の取り扱いには、免許は当然に必要としない。必要とされるのであれば、人間はまともに日常生活を送る事が出来なくなってしまう。また、人間そのものが、殺傷能力を有した存在となる場合がある。武術や格闘技を習得した場合である。有段者やライセンス保有者でなくとも、経験者と非経験者では、その危険度は格段に違ってくる。

  しかし、日常生活において、一番危険な存在は何かと問われれば、無意識下で行われる日常の行動をしている人間と答える。これを再認識したのが、01月24日の朝の事である。既に降雪は去年にあったが、積雪は今冬初となった。僕の居住エリアでは、23日から24日に日跨ぎする頃には止んでいたが、その後の気温が低かったため、解ける事無く残った。雪が積もるだけ降ると、ぐるっと見て回る事を、ここ数年やっている。今回も出て回った。道路状況は、雪が積もっていたり、それが解けてぐちゃぐちゃになっていたならば、問題無く歩けただろうが、情況はより悪かった。凍っていたのである。日光によって解かされるまで、この情況は解消されない。まだ通勤通学の時間では、凍った状態のままと言う事である。


路地。


歩道と道路の情況。



  このような情況だったので、流石に細高いヒールを履いている女性はいなかったが、自転車に乗っている人はいた。タイヤが細く、接地面の小さいロード用に乗っている人は見なかった。見られたのは所謂ママチャリタイプで、それに乗っている事から、通常の路面状態と同じ感覚で出てきたのだろう。路面の凍り方は、平坦につるつるに凍っていても危険だが、多くの場所は、まだ凍っていない内に人が歩いたり、自転車が通過したりして、跡が付いたまま凍っており、不規則で不均等なでこぼこが刻まれた状態になっており、タイヤが取られ易い情況だったにもかかわらずである。一人ならまだしも、後ろに子供を乗せてと言うのも、時間帯のため頻繁に目にした。一番に驚かされたのは、ベビーカーを押していた人である。しかも、歩道は通り難いと判断したのか、車道を歩いていたのである。路肩には雪があるため、その人は左タイヤによって出来たわだち状の所を、さも当たり前のように歩いていたのである。見た時、その人の後ろから車が来ていたが、幸いに、前方からは来ていなかったため、車は反対車線に出て通過していった。しかし、前後から車が来たらば、この人はどうするつもりだったのだろうか。車道はこんな状態であった。


車がすれ違う。



  子供を乗せた自転車にしても、ベビーカーにしても、事故に遭ってしまえば、乗せられた子供は、道連れにされてしまうのである。当人だけなら自己責任と言えるが、道連れにされた子供はどうであろう。では、一人で乗っていれば、それは許されるのかと言えば、それは当然に否定される。ベビーカーの人と同様に歩道は無理と判断し、車道を走行している。車道もタイヤが通過していく部分は、比較的に平坦になってはいたが、平坦になったため、滑りやすくなってしまっている。しかし、路肩は雪で塞がれているため、そこを走るしかなくなる。後ろから車が来ていれば、そこを起点にして渋滞が発生したであろう。いや、それならまだいいと言える。自転車が不意に転倒してしまったら、その後ろに来ていた車はどうするだろうか。急ブレーキを掛けたところで、タイヤはつーっと滑るだけで、止まってくれない。むしろ、タイヤが滑ってしまう事で、それ以上のハンドルによる制御が出来なくなってしまい、より危険になってしまう。こことは別の場所で、赤信号のために止まろうとして、そのように滑った車を数台見ている。ただ、もう止まる寸前からの滑りであったため、それ程の距離は滑らなかったものの、ハンドル操作を失う状態になっていた。これが、通常よりはスピードを落とした状態とは言え、走行状態によるものであったら、どうなっていただろう。取りあえず、転倒者を轢く事は確実である。この不可避な情況であったとしても、人を轢いたとして逮捕されるだろう。情況から減罪される事はあっても、無罪となる事は考え難い。たとい無罪とされたとしても、人を轢いたと言う記憶、そして、その感触は、消えて、思い出さなくなると言う事は、一生無いであろう。轢かれた人は、被害者ではない。加害者である。人を犯罪者に陥れただけでなく、一生消えない記憶と感触、感覚、何より罪悪感を与えてしまうと言う、大罪者である。さて、急ブレーキ、急ハンドル、加えて制御不能となれば、被害が周辺に及ぶのは必至である。車によるものであれば、その被害が軽く済むとは到底考えられない。転倒者は、更なる大罪を犯した事になるのである。また、後続車が絡んでしまえば、対向車線に出てしまえば、大惨事を引き起こす事になるのである。

  何故にこのような行動を取れるのであろうか。それは、日中の気温で解けてしまうと判断しているからである。事実、夕方になった頃には、建物の北側以外は、端に少し雪があるくらいで、道路には氷の「こ」の字も見つけられなくなっていた。だから、帰りは問題無く乗れるため、無謀な行動を取ろうとするのである。自転車で行くからには、そこそこの距離の場所に向かっているであろうから、問題が無くなった道路を、疲れた身体で帰るのが億劫だったとも言える。この行動を支える心理は、「今日だけだから」、「自分は大丈夫」、「今まで大丈夫だったから」である。朝、外に出た時に、いつものように自転車に乗っていこうと、「去年も雪の降った後に乗ったけど、問題が無かったから」と判断するのである。そして、まだ引き返せる距離の地点で、危うさを感じつつも、「今日だけだから」と思って先に進んでいく。そして、もう距離的に時間的に引き返せない場所まで来ると、途中で滑った人や転んだ人を見たとしても、「自分は大丈夫」と言う、意味不明な自信を持って更に進み、「ここまで大丈夫だったから、この先も」と言う、訳の分からない答えにたどり着くのである。

  安全は、自分がルールを守っていれば、それで確保されるものではない。前述の自転車のように、他者がルールを破る事によって、安全は全く確保されない情況になってしまうのである。つまり、安全とは、自者と他者との相互作用によって、ようやく確保されるものと言う事である。他者は自分以外の人全て、不特定多数であり、それぞれがそれぞれの意思のままに行動を取るわけだから、それぞれがルールを守っているからと言って、安全が確保されるわけではない。行って50%くらいであろうか。しかし、一人、二人がそのルールを守らなくても、安全状態が保たれているのは、周りがその守らない人に対して、回避行動を取っているからである。歩行者としてはこれに気づき難いが、車であれば気づき易い。歩行者であれば、持ち物がぶつかったとか、せいぜい肩や腕が接触する程度である。しかし、車ではサイドミラーが接触しただけでも、修理が必要になる。歩行者で言う肩がぶつかるような情況ともなろうものならば、それはもう交通事故である。誰もそんな目に遭いたくは無いわけで、だから、出来る範囲で回避行動を取っているのである。そのルールを守らない車以外は、速度、走行車線、車線変更、停止、左右折に関わるルールを共有しているのである。しかし、ここにこの同一ルールに則っていない歩行者や自転車が加わると、情況は混沌化する。それでも、へいじょうの道路環境であれば、回避行動は取れる。だが、この道路状況では、回避行動を取るのは困難なのである。

  車は要免許の危険物であり、同一ルールを守る事によって、安全が保たれている。しかし、歩行者や自転車は、同一ルール下で動いていない。それぞれの危険度は高くないが、同一ルール下にいない、不規則な動きを取る存在であり、また、その事を自覚しないで動く存在であるから、この点においては、車より危険物であると言える。しかも、共に免許不要であるのは言うまでも無い。この日に見た人の行動は、正にこれに当てはまる。これを解消するためには、平時にあっても、自分が危険物であると言う事を、つまり、自分のせいで周りに危険を発生させる存在である事を、はっきりと認識しなければならない。そのためには、心理の変更が求められる。「今まで大丈夫だったから」ではなく、「今までは大丈夫だったけど」に。「今日だけだから、無理をしてでもやろう」ではなく、「今日だけだから、無理をせずに回避しよう」に。そうすれば、自ずと「自分は大丈夫」と言う考えも、同時に消えていく。危険行動を取らなかったからと言って、安全が確保されるわけではない。でも、その事によって、自らが危険を発生させる度合いは、低下させられるであろう。



  例年の降雪後、自転車で走る人と言うのは、何回も見ているが、ベビーカーを押して、まさか、車道を歩いている人がいるとは、全くの想定外だった。このお母さん、何考えてるんだろう?と。例年であれば、雪が積もった状態なので、自転車で走っても、転倒する確率と言うのは、高いにしてもそこまでの高さではないけど、今年はどこもそこも凍っていたので、転倒の可能性は格段に高くなっていた。そこをよく自転車で行けるなあ、と思いながら、目的の場所まで歩いていった。その途中、氷を除去しようとする金属音が、車の出入りのある工場や会社、飲食店の駐車場の入口で見られた。もっと手っ取り早くと言うことで、お湯を掛けているところもあった。最後に、例年、雪が降るとその重みで天井のネットが撓み落ちてしまっている、バッティングセンターの様子を。





  これは落ちてもいいようにセッティングしていたのか、それとも、そうじゃないのか、見るたびに不思議に思ってしまう。雪が降ると言うことは分かっているんだから、たぶん、セッティングしているんだと思うけど。



「段差の意味を問う」

  先日、東京は銀座で、車椅子などで移動する際に、歩道と車道の段差を回避するルートを設定するための、社会実験が行われた。対処療法としては意義があるが、根本解決になっていない。そのルートが遠回りになっていたり、人通りが激しく、車椅子での通行が現実的に難しいと言うルートになってしまったら、それは段差があるのと変わりの無い状態になってしまいかねない。


  そもそも論として、歩道と車道の境に段差が存在する理由は何であろうか。たぶん、建築関係の法にでもあるんだろう。しかし、法とは、実社会、実生活に合わせていかなければならない。しかも、この問題であれば、バリアフリーが叫ばれて何年が経過しただろうか。そのために、改良工事をすぐに行う事は出来ないが、しかし、何年が経過しただろうか。経年による改良、新造の歩道で、段差の無い構造になっている所は、遭遇する率はかなり低い。


  今回の社会実験は、車椅子によるものであったが、実際のところ、自転車でもあの段差はきついものがある。一定の速度が出ていないと越えられない。しかし、その速度では手に来る衝撃が、激しいくらいの段差になっている所もある。一番きついのは、左右折する際である。段差側面に平行ないし浅い角度で進入すると、タイヤがその側面に沿ってしまい、乗り越さない場合がある。、しかし、曲がるために、体重は曲がる方向に傾けているため、転倒する可能性が出てくる。だいたいの場合は、ペダルから足を外して、足を着く事によって回避できるが、反応の遅くなった老人であればそれは難しく、また、買い物帰り、幼稚園のお迎えの帰りなどで、重さが増された状態であれば、果たして、足で支えきれるか。その際、買い物袋の中身が散乱する事もあるかもしれないし、最悪は後部に乗せいている子供が投げ出される事も、起こり得ないとは言い切れない。直進的に入っていった場合でも、前述の衝撃の他、タイヤの空気圧が低くなっている時には、パンクの原因になる事もある。話を戻して、車椅子となればどうであろうあ。自転車のタイヤの輪径でも、越えるのに大変な場合があるのだから、車椅子となれば推して知るべしである。また、足の弱い老人や、松葉杖をついている歩行困難者も、また、同様であろう。


  今、段差が無ければならない理由は何であろうか。その理由が無い、ないし、薄いのであれば、漸次で無くしていけばいい。必要が無いのに、法令だから、慣例だからと言ってやるのは、行政にはあってはならないこと。悪法は法ならず、唯だ悪なり。絶対君主の下のほうであれば、悪法も法として慰めなければならなかったであろうが、今、そのような時代であろうか。




  あの段差、本当に邪魔。あの段差に、上述のように、左折で引っ掛かって転倒した人を見たことがある。そこは、かなり段差が高くなっている場所だった。僕自身、交差点ではないけれど、車道から歩道に乗り上がろうとして、平行になってしまって、転倒したことが、少なくとも二度ある。ただ、一番の問題としたいのは、この歩道と車道の境の段差じゃない。歩道にある起伏。あの存在意味が分からない。住宅の入口部分は低くなっていて、それ以外の部分を高くしていなければならない理由は、全く見当たらない。それこそ、法律でそうなっているから、と言うくらいの理由だと思う。家の入口が連続的に並んでいれば、そのたびにアップダウンが繰り返される。また、これが滑らかな曲線を以って構成されていれば、まだ問題は少ないけど、だいたいの場合は、角張っている。まだ走り慣れていない所だと、これは凶器になる。暗くなった時に、その段差がはっきり見えないから。滑らかであれば、そのまま走行していても問題無いが、角張っていれば、そこに差し掛かった時、がくんと落ちる。見えていても衝撃がくる。見えていなければ、不意のそのがくんに対処することは、かなり難しい。そんながくんポイントが一箇所あって、何度も転倒しそうになった。この段差が連続しているのが、国道16号沿いにある。横田基地の西側。横田基地側には歩道が敷設できないので、その反対側を走るしかないんだけど、そこは段差が連続している。その画像を前に撮ったんだけど、PCに取り込もうとMicroSDにコピーしようとしたら、間違って消してしまったため、画像で示せないんだけど。歩道自体はかなり広く造られているんだけど、その段差のために、歩道の2/3幅が段差に掛かってしまっている。あれ造ったやつ、相当に頭が悪い。つまり、段差の問題は、車椅子の人のために言うのではなく、僕の行動、自転車にとって邪魔な存在だから、こうやって書いたのです。





「勝ち負け」改

河津一名龍門,巨靈跡猶存,去長安九百里.水懸船而行,旁有山,水陸不通,龜魚之屬莫能上.江海大魚集門下數千,不得上,上即為龍.故云曝鰓龍門,垂耳轅下.


  これは『太平御覽』に引かれた『三秦記』の内容である。いわゆる「登龍門」の伝説である。


龍門山は、山西省河津県と陝西省韓城県の間にあり、帝禹が鑿して、黄河の水を導流したと言われる場所である。山を鑿ったと言うだけあって、流れの両側は切り立った、極めて嶮峻な場所であり、陸から近づく事は不可能であると言う。流れも激流で、滝つぼは百尋もの水深である。そのため、その周辺に住む魚や龜では、上る事は出来なかった。しかし、今の世に命知らずの冒険野郎がいるように、いつの世にも、力自慢、腕自慢の輩はいるもので、大河や海から、我こそはと大魚が集まった。その数、数千。この激流を上り切った者は、龍に化成したと言う。


  他の史料も付加して、やや肉付けして訳してみた。しかし、一部には全く触れていない。それは、上り切れなかった場合である。大元の引用元である『三秦記』は、散逸してしまった書である。そのため、引用された書によっては、内容に異同が生じる事もある。この場合がそうである。『通典』「絳郡絳州」での、「龍門」の地の説明に同じく『三秦記』が引かれ、「魚鱉上之即為龍,否則點額而還.」とある。『太平御覽』では「曝鰓龍門」、『通典』では「點額而還」としている。前者の「曝鰓」の「鰓」は「えら」であって、それを龍門山に向けて曝していると言うのだから、死んでしまって仰向けになり、両えらを水上に向けているか、または、半死状態で、側面の片えらを水上に曝している状態を指す。後者の「點額」の「點」は、「点」の正字である。ここでは傷つくと言った意味である。額に傷を負って、元来た場所に帰ると言うのである。ほんの少し上った所から流れに落とされたのであれば、この程度で済んだかもしれないが、もう少しで上り切ると言う所から落とされとなると、前者の如くなっているであろう。


  『後漢書』「志・交州・交趾」の注に『交州記』が引かれ、次のようにある。「不得過、曝鰓點額、血流此水、恆如丹池。」と。こちらには、「曝鰓點額」と一続きになっている。この内容から、この激流上りの壮絶さが見えてくる。流れに落とされ、百尋もある滝つぼの底に叩きつけられ、それによって負った傷口から流れる血によって、常に丹池のように、赤く染まっている、と言う描写である。激流であるから、流血も滞留する事無く流されるものだが、それでも「恆如丹池」と言うのだから、挑んだ江海の大魚の数と、その殆どが挑み敗れたのである事を想像させる。また、『文選』に収録されている謝玄暉の「觀朝雨」の注には、「不得上、曝鰓水次也.」とある。やはり、「曝鰓」した者は、死んではいないものの、さりとて去る事も出来ない状態になっているようである。作者の謝玄暉は、南朝齊の謝朓の事である。玄暉はその字であり、『文選』では氏と字を以って人物名が表示されている。

  上り切れなかった大魚の描写はあるものの、上り切った大魚の描写は「上即為龍」、「魚鱉上之即為龍」と、龍に化成する事しか触れていない。そんな中、『藝文類聚』「龍」では、この激流を上り切った一魚の様子を描写した一文が載せられている。「觀於龍門.有一魚.奮鱗鼓鬐而登乎龍門而為龍.」と。鱗を奮い鬐を鼓(鳴)すと言う、全身を躍動させている大魚の姿が、見事に描写されている。大魚がここまでしないと、上り切れないような、そんな激流を上ったからこそ、龍へと化成し得るのであろう。「鬐」は背びれの事である。だが、上り得なかった大魚も、同じように身体を躍動させながら上っていた事は、想像に易い。


  ここから見えるのは、勝者がいれば、その裏には、敗者がいると言う事である。しかし、今、普通に言われるような「勝ち負け」ではない事が分かる。己の命を賭して挑み、その結果、異次元の高みへと上れた勝者と、全身に傷を負い、命を僅かに保てている敗者である。そんな情況こそが、「勝ち負け」なのである。軽々しく用いていい表現ではないのである。


  そんな「勝ち負け」の瞬間を、去年にこの目にする事が出来た。それは、2011年10月18日、火曜日の出来事である。奇しくも、所沢と大阪の離れた地で、プロ野球パリーグのレギュラーシーズン最終戦が開催された。三位のオリックス、四位の西武、それぞれホームゲームの最終戦であった。オリックスの方は分からないが、西武の当初のスケジュールによる最終戦は、この二日前、16日の日曜日だった。しかし、09月下旬に襲来した台風により、中止となった一試合が、この日に回されたのである。この振り替え日程が組まれた時点では、三位に届くとは予想できなかったのか、はたまた、平日ナイターだったからであろうか、ファンクラブの前売り価格は、内野指定席Aまで500円で購入できた。それはともかく、この二試合が重なったのである。オリックスは、勝てば三位でシーズンを終え、クライマックスシリーズ進出となる。また、負けたとしても、四位の西武が負ければ、同じく進出が決まる。逆から見れば、西武が三位に上がるには、勝つ事が絶対条件であり、加えて、オリックスが負けなければならなかった。この両試合、西武が早々に勝ちを手にした。順位が確定していれば、そのままシーズン終了のセレモニーが行われる段取りとなっていた。しかし、勝った事によって、最終順位の決定は、オリックスの勝敗によって変わってくる事となった。セレモニーまでの繋ぎのために、球場のビジョンにて、Lvisionと言うが、オリックスの試合中継が流される事となった。球場に来て、他球場の中継を見ると言う、稀な情況になったのである。着替えを終えた選手がベンチに戻ってきて、同じく中継を見ると言う奇妙な情況が加わった。中継が始まった時点で、オリックスは負けていて、そのまま試合が終了した。ここに、勝ちと負けの残酷な瞬間が生まれた。三位と四位の違いは、順位一つの差ではない。AクラスとBクラスの違いがあり、後年の開幕戦をホームで出来るかどうかが分かれる。また、すぐの話では、クライマックスシリーズに出られるか否かが分かれる。一つの順位差は、天と地ほどの差を生じさせるのである。その差を分けたのは、僅か06糸。小数点第五位の桁の差しかない。それでも、厳然と、この差を生むのである。


  しかし、この差は、この一年のものでしかない。年が明ければ、また、新たなものが待ち受けている。「勝ち負け」には、次は無いのである。つまり、相対的なものではなく、絶対的なものと言う事である。スポーツであれば、単年で順位が決まり、それで終了である。龍門山の激流に挑む大魚も、上れるか否かで終了である。前述の通り、再び挑み上る事は不可能である。つまり、人や会社、組織に「勝ち負け」は無いのである。その全てにおいて、「勝ち」と言う状態で終わる事は、有り得ないのである。人にとって「勝ち」が何なのか、それは条件の設定によって変わってくる。それは、記録、歴史として永続してはいくかもしれないが、個人であれば、その死によってお終いになってしまう。大魚は新たに龍に化成するが、人間は死んだらそれまで。あの世に「勝ち」を持っていけない。会社、組織であれば、「勝っている」と言う情況にあるかもしれないが、それが永続する事は無い。いずれ、何かしらの形で終わりを迎える。その終わりとは、つまりは、「負け」の状態になっての事である。「勝ち」によってそれまでを終わりにして、新たな状態へと移るのが、「勝ち負け」の「勝ち」である。人も会社も組織も、「勝ち」によってそれまでが終わる事は無く、そのため、新たな状態へと移る事は無い。つまり、「今は」と言う限定条件の下に過ぎない。今日は勝ったが、明日は負けになっているかもしれない。そんな移ろう事に躍起になるのは、果たして何の意味があろう?




  競争への批判ではありません。やれ勝ち組だの負け組だの言っている、頭のお寒い人たちに、その頭の寒さよりも冷たい水をぶっ掛けてやりたい、そんな事を書こう、と。元々は、そこまでの意識は無く、単に「勝ち負け」はぎりぎりで鎬を削っている人にこそ使われる言葉であり、何でもかんでも使っていいものではないと言った、軽い意味を込めて、2008年05月05日に、鯉の滝登りに引っ掛けて書いたものです。本当は、去年中に更新するつもりでした。12月17日に下書きも終えていました。その数日前、新たに書くネタを見つけられず、古いのから引っ張り出そうとしていた時、NHKの21時台のニュースのスポーツコーナーにて、正に四位に転落する原因を為してしまった投手、先発の金子千尋のインタビューが流されていた。僕も見ていた歓喜に沸いていた西武の最終戦セレモニーが行われていた同時刻、まさかの四位転落で、失意の最終戦セレモニーが行われていた。そこで、金子千尋は悔し涙をこぼしていた。また、これによって記憶が戻った。クライマックスシリーズファイナルステージでの、先制を許してのマウンドを降りた杉内の涙、その裏、同点に追いつかれてしまい、マウンドを降りた涌井の涙。これが「勝ち負け」の現場にいた人間の感情であり、このような人、つまりはプロフェッショナルな人にだけしか、「勝ち負け」と言う言葉を使ってはいけないんだ、と本当に書きたかった事を書くべきではないか、と書き始めて、結果、別の方向へと論旨が傾いてしまいました。それも影響したのか、何となく打ち込む気になれず、今年に回しました。そして気づいたら、今年は辰年。これにも絡めて書けないかな?と思ったものの、それはまた別のお話にしよう、と。辰って龍なの?と。