西東雑論 -2ページ目

「一生懸命はカッコ悪い」 第一回

  「一生懸命はカッコ悪い」。中高生くらいの子が使う言葉の一つ。しかし、「オトナ」はこれを否定する。一生懸命に頑張る事は素晴らしい、と説く。この論を展開する時、「最近の」若者などと言ったりするが、これは別に最近のやり取りではない。半世紀前であっても、文言こそ違えども、同じ内容のやり取りは為されていた。「最近の」と言う事によって、これを言っている自分はそうじゃなかった、と言っているのである。何の論拠も持っていない。500年前ならいざ知らず、現代にあっては、30~40年前に若者だった人らの情報は、紙面だけでなく映像としても残っているのだ、どうしてそんな嘘がまかり通る事があり得ようか。「最近の」と言うのは、よくマスコミやジャーナリストが使う言葉だが、卑怯な物言いでしかない。最近とするのは、自分がその非難の対象から外れるようにするためである。卑怯の物言いである以上、これこそ否定される返し言葉であると言えよう。




「女は見られても綺麗にならない」 後記

  豫讓の言葉は、その前半部は、2011年08月に拾っていたんだけど、どうしても他に結び付けられなくて、止まったままだった。今年のお盆の帰省の時、『中国古代書簡集』佐藤武敏と言う本を買っていった。もしかしたら、前に買った気がするんだけど。そこに、司馬遷の言葉として、同じ文言があって、そこでは「女為説己者容」に目が止まった。それで、こっちで使っていこう、と。ただ、あまりネタとしての広がりは出来なくて。ただ、すぐに書けそうなネタと言うとこれしか見つからなかったので、熟成不足のところはあるけれど、ここで書いてみた。受動能動ネタ。変化の基点を恋愛に置いてみたのは、もちろんそれが一番手っ取り早いと言うこともあるけど、次の詩もネタに組み込めるかなあ、と思ったから。



妾薄命 李端


自從君棄妾  君が妾を棄てて自從(よ)り、
憔悴不羞人  憔悴するも人に羞じず。
唯餘壞粉涙  唯だ餘(のこ)すは壞粉の涙。
未免映衫匀  未だ免れず、衫に匀しく映ずるを。



三月閨怨 張説


三月時將盡  三月の時、將に盡きんとし、
空房妾獨居  空房、妾の獨り居す。
蛾眉愁自結  蛾眉、愁いて自と結ばれ、
鬢髮沒情梳  鬢髮、情を沒して梳す。



  詩の解釈は別に任せる。それでも、ぱっと見で分かるようなのを選んだつもり。見せる相手を失った時の、その外見を装うことすら出来なくなる心理状態。これは、そう言うテーマ性を以って解釈したものだけど、この逆の状況が、今回ここで陳べようとしたこと。


  別に恋人と言う関係でなくてもいい。その人に会うだけで、見ることが出来るだけで、ドキドキする、嬉しくなる、楽しくなる、などなど、心理にプラスに働く感情が生じれば、それだけで儲けものだったりする。


常に恋していたい、片思いであってもいい。それで、泣いたり笑ったりして、それで美しくなるんだったら、それでいんです。棚から牡丹餅で、スッポンみたいに、男のいいところ全部吸い取って、吸収するんです。


  上記の言葉は、とあるラジオで出て来た言葉。これも、これを書くための下敷きになっている。そんな古い物をいろいろと組み合わせてみた結果。これで多少は熟成不足を補えたんじゃないかと思う。豫讓の言葉だけで作り上げるのは、ちょっと無理があった。定型的なものにしかならないから。


  次は真面目なネタを書きたい。でも、全く時間が取れない。ネタの仕込みすら出来ないくらいに。次は一ヶ月以上先かな。




「女は見られても綺麗にならない」 第五回

  モデルや女優は、見られる商売ではない。見せる商売である。受動ではなく能動であるから、持続性がある。付き合っている恋人に、こう見られたいからこう言う服を着よう、メイクをしよう、などなど、見られたいと言う願望からスタートはしているが、つまり、受動的ではあるが、そこからの動きは、能動的と言える。心理を少し変えれば、こう見せたいから、になる。ただ漠然と、見られている、と言う状態では、綺麗になる期間は短い。自分が狙った通りに反応を示してくれれば、それは己のプライドを満たす事になり、それは相手の心理を掴めていると言う事であり、更に己を満足させる事になるだろう。精神的な満足を得ていれば、人は自然と表情が笑顔の方に向かう。人は口角が上がっていると、脳がプラスの方向に向くと言う。この相乗効果によって、更に綺麗になる可能性が生じる。受動の結果では、ここに至る事は出来ない。