「本気になれば禁煙できる」という自己欺瞞
少し難しい言葉ですが、簡単に言えば、
「自分で自分をごまかすこと」です。
「本気になれば、いつでもタバコはやめられる」
「今は仕事が忙しいから」
「ストレスがあるから仕方ない」
「今日は吸って、明日からやめよう」
「まだ本気でやめようと思っていないだけ」
禁煙しようと思ったことがある人なら、一度くらい考えたことがあるのではないでしょうか。
私もそうでした。
何度も、
「今度こそやめよう」
と思いました。
そして何度も、
「まだ本気じゃないだけ」
「その気になれば、いつでもやめられる」
と自分を納得させました。
でも、一度考えてみてください。
あなたは「タバコをやめたい」と思ってから、もう何年が過ぎているでしょうか?
1年でしょうか。
3年でしょうか。
5年でしょうか。
10年以上経っている人もいるかもしれません。
では、
あなたの言う「本気」は、あと何年後にやってくるのでしょうか?
来年でしょうか。
5年後でしょうか。
10年後でしょうか。
もしかすると、
「いつか本気になればやめられる」
という考えそのものが、
今の自分を納得させるための自己欺瞞になってはいないでしょうか。
私自身、それに気づくまで何度も禁煙に失敗しました。
そして、ある時のことです。
私は本気で禁煙しようと思い、
持っていたタバコを捨てました。
「もう吸わない」
そう決めて捨てたはずでした。
ところが――
しばらくすると、どうしても吸いたくなった。
そして私は、
自分で捨てたタバコを拾って、吸っていました。
その時です。
タバコを吸いながら、
私は自分自身の姿を見て、ようやく悟りました。
「俺は、自分が思っている以上にニコチンに依存している」
そして、もう一つ。
「自分の考えだけでは、ここから抜け出せない」
それまでの私は、
自分で考えて、
自分で決意して、
自分の意志で禁煙しようとしていました。
でも、その自分が、
捨てたタバコを拾ってまで吸っている。
そこで、ようやく自覚したのです。
自分は、どうしようもないほどのニコチン依存者なんだ。
私にとって、この「自覚」は大きな転換点でした。
それまでは心のどこかで、
「自分は大丈夫」
「本気になればやめられる」
と思っていました。
しかし、
捨てたタバコを拾って吸っている自分を見た時、
もう自分をごまかすことができなくなった。
自分には助けが必要だ。
そう思いました。
これは、禁煙だけの話ではないと思います。
人は自分が問題を抱えていると自覚していなければ、
なかなか人の意見を聞こうとはしません。
「自分は大丈夫」
「自分のやり方でできる」
と思っているからです。
しかし、
自分一人では抜け出せないかもしれない。
そう自覚した時、
初めて他者の言葉を受け入れられるようになります。
私はそこから、
自分の考えだけに頼るのをやめました。
そして、
すでに禁煙に成功した人の考え方に耳を傾けることにしました。
自分より先に、
ニコチン依存から抜け出した人がいる。
だったら、
その人が何を考え、
何に気づき、
どうやってタバコを必要としなくなったのか。
まずは素直に聞いてみよう。
そう思ったのです。
ところが、依存の中にいる時ほど、
人から何か言われると反論したくなるものです。
「自分の場合は違う」
「そんな簡単な話じゃない」
「タバコを吸うと落ち着くんだ」
「自分はタバコが好きなんだ」
そう思うかもしれません。
でも、そんな時こそ一度考えてみてほしいのです。
その考え方をしている自分自身が、今もタバコをやめられずにいる。
だったら一度、
自分の考えを横に置いてみてもいいのではないでしょうか。
自分を責める必要はありません。
「意志が弱い人間だ」
と思う必要もありません。
ただ、まずは現状を自覚する。
「私はニコチンに依存している」
そして、
「今までの自分の考え方だけでは、抜け出せないのかもしれない」
そこを認めてみる。
そうすると初めて、
他者が差し出している手が見えるようになります。
泳げない人が溺れている時、
自分の泳ぎ方にこだわり続ける必要はありません。
誰かが手を差し出してくれたのなら、
その手につかまればいい。
禁煙も同じだと私は思います。
もしあなたが、
何度も禁煙を決意して、
何度も失敗して、
それでも、
「次こそ本気になればやめられる」
と思っているのなら、
一度だけ自分に問いかけてみてください。
あなたは、やめようと思ってからもう何年が過ぎましたか?
そして――
あなたの言う「本気」は、あと何年後に来るのでしょうか?
もしかすると必要なのは、
次の「決意」ではないのかもしれません。
まず、
自分はニコチン依存者であると自覚すること。
そして、
自分には助けが必要なのだと認めること。
そこから、
自分より先に依存から抜け出した人の言葉に耳を傾けてみる。
私の場合は、
捨てたタバコを拾って吸っている自分の姿が、
それに気づかせてくれました。
あの時初めて、
私は自分をごまかすことをやめられたのだと思います。
自覚すること。
そこが、私の禁煙の本当の始まりでした。
私自身のニコチン依存の経験と、そこから抜け出すま
でに得た気づきを
Kindle本 『禁煙菩薩』 にまとめています。
やめたいのに、やめられない。
そんな方の小さなきっかけになれば幸いです。
「色即是空」で禁煙が楽になる?
般若心経の中に有名な言葉があります。
「色即是空(しきそくぜくう)」
難しく聞こえますが、私なりに禁煙に当てはめると、とても分かりやすくなりました。
禁煙中、
「吸いたい!」と思うことがあります。
でも、その「吸いたい」は本当に実体があるのでしょうか。
少し観てみると、
「今、吸いたいという思考が出ている。」
ただ、それだけなんです。
「吸いたい」という思考は、ずっと続くわけではありません。
数分後には弱くなり、
何かに集中していると消えていることもあります。
つまり、
「吸いたい」という思考には、固定した実体がない。
これが私なりの「色即是空」です。
苦しみの正体はタバコではなく、
「この気持ちは消えない。」
「吸わないと苦しい。」
という思い込みだったのかもしれません。
だから私は、
「吸いたい。」ではなく、
「今、吸いたいという思考が出ているな。」
と観るようにしています。
すると、不思議と心に少し余裕が生まれます。
お釈迦さまは、物事をありのままに観る智慧を説きました。
禁煙も同じです。
「吸いたい」と戦うのではなく、
「吸いたい」という思考を観る。
その繰り返しが、無意識を書き換えてくれます。
今日も合言葉。
「吸わなくても大丈夫。」
焦らなくて大丈夫。
一歩ずつ、一緒に進んでいきましょう。
禁煙菩薩
20年以上禁煙継続中。
「無意識を意識する」をテーマに、仏教の智慧と自身の経験をもとに、苦しみの少ない禁煙を発信しています。
禁煙できない人ほど「観る」が足りない
最近、小林正観さんのことを考えていました。
「正観」という名前には、正しく観る
ありのままを観る
という意味が込められているように感じます。
私たちは普段、物事を見ているようで、実は自分の思い込みや感情を通して見ています。
仏教でいう「観る」は、ただ目で見ることではありません。
自分の思い込みを外して観る
好き嫌いを入れずに観る
起きている事実を観る
という深い意味があります。
例えば禁煙。
タバコをやめようとしているとき、
「吸いたい、吸いたい、我慢できない」
と思うことがあります。
でも少し立ち止まって観てみる。
すると、
「今、吸いたいという思考が出ているな」
と気づくことができます。
ここには大きな違いがあります。
「吸いたい」という思考に飲み込まれている状態と、
「吸いたいという思考が出ている」と観察している状態。
観ることができた瞬間、少し自由になるのです。
般若心経には、
照見五蘊皆空(しょうけんごうんかいくう)
という言葉があります。
これは、
「自分の心や体の働きをよく観たら、固定した実体はないと見抜いた」
という意味です。
怒りも、
不安も、
欲望も、
永遠に続くものではありません。
ただ現れては消えていくものです。
私が『禁煙菩薩』で伝えたいことの一つに、
「無意識を意識する」
という考えがあります。
タバコを吸いたくなるとき、
その多くは無意識の反応です。
食後だから。
休憩だから。
車に乗ったから。
ストレスがたまったから。
気づかないうちに無意識が動いています。
だからこそ、
呼吸を観る。
思考を観る。
感情を観る。
そうすると無意識に振り回されにくくなります。
空海も、
小林正観さんも、
歩んだ道は違います。
しかし共通しているのは、
「まず観ることから始まる」
ということではないでしょうか。
何か問題が起きたとき。
感情が揺れたとき。
タバコを吸いたくなったとき。
まずは立ち止まって観てみる。
そして深呼吸をひとつ。
今日の合言葉です。
「無意識を意識して、正しく観る。」
吸わなくても大丈夫。
あなたの心は、あなたが観ることができます。
福岡市の喫煙規制強化 禁煙で苦しんでいる人へ伝えたいこと
福岡市議会で、都心部の喫煙規制を強化する改正条例が可決されました。
これまでは天神・大名地区と博多駅周辺地区で「歩きたばこ」が主な規制対象でしたが、
今後は公園や広場も対象になります。
さらに、 ・立ち止まっての喫煙 ・座っての喫煙 ・加熱式たばこ も規制対象となり、違反した場合は2万円以下の過料が科される予定です。
このニュースを見て、 「また吸える場所が減るのか…」 と思った喫煙者の方もいるかもしれません。
実際、肩身が狭くなったと感じる人も多いでしょう。
しかし私は少し違う見方をしています。
吸える場所が減るということは、 吸わない時間が増えるということ。
そしてそれは、 「吸わなくても大丈夫な自分」 を育てるチャンスでもあると思うのです。
私自身、昔は重度の喫煙者でした。
やめたいのにやめられない。
タバコを捨てても、しばらくすると拾って吸ってしまう。
そんな自分が情けなくて泣いたこともあります。
当時は自分の意思が弱いからだと思っていました。
しかし長年かけて気づいたことがあります。
苦しみの正体はタバコではなく、 「吸わないと落ち着かない」 という無意識の思い込みだったのです。
禁煙で本当に大切なのは根性ではありません。
無意識を刺激しないこと。
そして吸いたくなった時に、 その気持ちを否定せず観察すること。
最初は苦しくても、その波は必ず過ぎていきます。
その経験を何度も積み重ねることで、無意識は少しずつ書き換わっていきます。
もし今、禁煙で苦しんでいる方がいたら伝えたい。 あなたの意思が弱いのではありません。
正しい見方と正しい方法を知らないだけです。
私が20年以上の禁煙経験と実体験をもとに書いた電子書籍『禁煙菩薩』には、無意識との向き合い方や禁煙を楽にする考え方をまとめています。
昔の私のように苦しんでいる人に、道があることを知ってほしい。
そんな思いで書いた一冊です。
今日も深呼吸。
吸わなくても大丈夫。
禁煙菩薩
イギリスでは、「一生タバコが買えない世代」が生まれようとしている。
2009年以降に生まれた人は、
もう二度とタバコを買えない。
つまり──
最初から「吸わない世界」が普通になる。
これ、どう思いますか?
「厳しすぎる」
「自由がない」
そう思う人もいる。
でも、ここで一度
静かに観てほしい。
なぜそこまでして
国は止めようとしているのか。
それはシンプルです。
タバコは
“やめられないもの”になるから。
最初は軽い気持ち。
一本だけ。
付き合いで。
でも気づいたら、
やめたくてもやめられない。
ここで重要なのはこれ。
『吸いたい』も思考である
あなたが「吸いたい」と感じているそれは、
本能でも意志でもない。
無意識が流している“思考”です。
イギリスがやろうとしているのは、
その「最初の一歩」を
そもそも起こさせないこと。
つまり、
苦しみのスタート地点を
消している。
ここが本質です。
禁煙が苦しいのは、
やめることじゃない。
無意識に刷り込まれた
「吸う前提」を外そうとするから苦しい。
逆に言えば──
最初から吸わなければ、
苦しみは存在しない。
これ、めちゃくちゃ重要です。
今吸っている人へ。
あなたはもう
スタート地点を越えている。
だからこそ苦しい。
でも安心していい。
構造は同じです。
無意識が作った流れを
観るだけでいい。
戦わなくていい。
我慢しなくていい。
ただ気づくだけ。
「また思考が流れてきたな」と。
それだけでいい。
イギリスは制度で止めようとしている。
でもあなたは、
“気づき”で止めることができる。
どっちが自由か。
もう、わかりますよね。
今日も吸わなくて大丈夫。

