顔真卿な一日 | 書法家 武田双鳳の「そうほう録」

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「書で人生を豊かにする」をテーマに、日々のオモシロさを探求する書法家・武田双鳳の日記

今日は一日、顔真卿の研究です。

 

 

ショッピングセンターに行っても、末っ子がゲームをしている間に顔真卿。「一発目でレアカードが出た!」と大はしゃぎしても、顔真卿(どんなカードか気になりますが)。

 

 

ようやく一段落し、お食事へ(ちなみに、「一段落」を「ひとだんらく」と読むのは誤りだそう・・・)。

 

顔真卿後は、なんだか、ふっくら(向勢)な食べ物が欲しくなるものです。

 

 

顔真卿後は、頭が丸くて尾っぽが割れている(蚕頭燕尾)な物も欲しくなるものです(エビフライをエンビフライと呼んでしまいそう)。

 

顔真卿後は、まるい(円勢)ものが気になります(子供が残したキャベツを食べさせられているところですが)。

 

末っ子が購入した「どっちが強い!?」シリーズに習って、来月の稽古では、「王羲之」と「顔真卿」という二大巨峰の筆法を比較していきます(「リカオン」と「モリイノシシ」も気になりますが)。
 

 

夜は、末っ子が裁縫に勤しむ間に、父は顔真卿。

 

「作為が多すぎる」やら「醜怪悪札」やら、あれだけ顔真卿の楷書をけなす米芾ですら、なぜか、顔真卿の行書については褒めています(「篆籀の気ありて、顔の傑思なり」などと)。

 

※天来書院テキストシリーズより

 

ただ、どうでしょう。顔真卿の行書、上手いと思いますか?書きたいと思いますか?

 

僕は高校生の頃なんて、「争坐位稿」を見ても、ヘンテコにしか見えず、臨書をする気にすらなりませんでした。

 

 

 

ところがです。顔真卿って、ワサビなのかも。コーヒーやビールと言ってもいい。僕にとっては、その「辛さ」や「苦み」、「酸味」は、(好きか嫌いか別にして)「大人になったら分かる味」だったのです。

 

手垢にまみれた「書は人なり」という言葉を、歴史上もっとも体現した人は、やはり、顔真卿でしょう。乱れゆく唐王朝に、命を懸けて忠義を尽くした人物の辛苦や悲哀、激昂がにじみ出る書きぶりに、書けば書くほど魅了させられてしまいます。

 

 

顔真卿が、いかなる時代に生きていたのか―。ちょっぴり中国史を復習しながら、今日は、やわらかい羊毛で稽古をしていこうと思います。

 

 

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