いっていどうしよう? と悩んだ時の鄭道昭!! | 書道家 武田双鳳の「書で人生を豊かに」

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バランストレーニングや書道古典講座など「書かない書の稽古」を取り入れることで、本来の「書の稽古」を実現。経験を問わず、子供から大人まで、存分に『書のたのしさ』を味わる場所をつくっています。

【大人の生徒の皆さん】

 

2月の基礎書法講座では、明末清初の「王鐸」一択で、明末連綿草の「魅せる書」について学びました。

 

3月の講座では、「いっていどうしよう?」と悩んだ時の「鄭道昭」(ていどうしょう)を採り上げる予定です。

 

昨日の深夜2時の酔いどれインスタライブでも少し解説しましたが、以下、鄭道昭の代表作「鄭羲下碑」について、ポイントをちょっぴり掲載しておいます。

 

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≪忘れられた至宝「鄭羲下碑」≫

鄭道昭「鄭羲下碑」は、磨崖碑(自然の岩肌に彫られた書)の代表作。西暦511年、北魏時代に「仙人が棲む神秘の山」と言われる雲峰山に刻されました。

 

鄭羲下碑は、長らく忘れられた存在でしたが、18世紀清代に再評価され、脚光を浴びます。

 

清代の書家・包世臣(1775年 - 1855年)は「篆書の筆力、隷書の韻致、草書のおもしろさが全部含まれている」と言い、

 

金石学者・葉昌熾(1849—1917・ようしょうし)は「単に北朝書道の第一の傑作であるばかりでなく、楷書始まって以来の第一の傑作だ」と、手放しで褒めたたえます。

 

鄭羲下碑は明治の日本でも評価され、「現代書道の父」と言われる明治日本の比田井天来(1872-1939年)も、「筆力が強く、大きくうねって立体感があり、結体も大きく空間を抱いて雄大な気分を出している点は、北魏第一」と述べています。

 

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≪鄭羲下碑による「新たな美」≫

 

書の歴史においては、長らく、王羲之と顔真卿が「二大書聖」として、書の大きな潮流のベースとされてきました。

 

ところが、18世紀清代に北魏時代の石碑(代表として「鄭羲下碑」「龍門造像記」「張猛龍碑」「髙貞碑」)の価値が見直されると、

 

二大書聖とは異なる「新たな美」として、「北魏楷書」(六朝楷書)がスポットライトを浴びることになりました。

 

鄭道昭は、特に時代の近い王羲之と比較され、王羲之の書は「書斎芸術の華」に対し、鄭道昭の書は「野外芸術の精華」と評され、王羲之は「行草書の表現を確立」し、鄭道昭は「楷法の礎を築いた」とも言われます。

 

日本においても明治維新以降、日下部鳴鶴(比田井天来の師)らが鄭羲下碑などの北魏楷書を取り入れるようになり、王羲之や顔真卿の書と並ぶベースとして、重要視されるようになりました。

 

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≪鄭羲下碑を学ぶ意義≫

 

「鄭羲下碑」の五書体の妙すべてを含む「栄養価の高い線質」や、天空に向かって掲げられた「気宇壮大な構成」は、僕らの線質を高め、書のスケールを大きくしてくれます。

 

ふたば書道会では「方勢」(角張った線・方筆)タイプの「張猛龍碑」や「龍門造像記」(始平公造像記・牛橛造像記など)、「高貞碑」を課題にすることが多いため、

 

対極的な「円筆」タイプの「鄭羲下碑」の臨書をすれば、方勢の北魏楷書や九成宮醴泉銘といった唐代楷書の理解は深まることはもちろん、篆書や隷書の筆法も真鍋、さらに書表現を進化させることができるでしょう。

 

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☆鄭羲下碑おススメのテキスト