おはようございます。
本日は、
先日、いつものように
ぼぉ~とYouTube動画を観ていた時に、
ちょっと変わったことを考えちゃいました。
『へ~どんな?』
はい、何か、あるテーマに対して5,6人で
ディスカッションする
チャンネルだったんですけど、
まぁどの人も自分の考えをユーモアを交え
めちゃくちゃ「流暢」に話していて、
すごく分かりやすく伝わってくるものが
あったんですね。
どんなチャンネルでも
言えることなんですが...
『あぁ。でもそれ別にフツーなことだよな。
何もツッコミどころ
なんてないんじゃないのか...(^-^;』
そうなんですけど、
もし仮に「言葉での伝達手段」が
方法としてないものだったらというか、
人間の感覚に「話す、口をきく」
という機能、役割がなかったら
いろいろどうなっていたんだろうと...
ほかの感覚が鋭くなっていたとか
テレパシーが発達していたのかも...
っていうかまぁ、YouTube自体
存在しなかったんだろうけど...
ブログも...
『え?キミ、なに考えてるんだよ。(^-^;
まぁ確かに変わったことだけど...』
はい、まぁ。m(__)m
でもなんか疑問のテーマが大き過ぎて
わけ分からなくなってきて、
突き詰めるのは止めちゃったんですけどね。
昔、10年くらい前に脳の病気を発症した時の
入院時にこんなような
ちょっと変わったことを
時々考えてたんですよね。暇過ぎて...
もちろんこの疑問も...
まぁ手術の後遺症で
その時は声が全く出なかったですし、
そのことを受け入れる過程で、
特にそういう系のことは
考えてましたね。(苦笑)
『あぁ、まさに激動だった訳なんだな。(^-^;
そりゃそんなことも考えるかもな。』
まぁ、そうなんですよね。
で、この疑問については
いつも途中で挫折しちゃうんですけど、
その代わりじゃないんですが、
「言葉での伝達手段」の補助に
なりそうなことというか、
僕がこれまでに手助け手段に
したことがあることを
いくつか紹介しますね。
『ほ~、どんなことだろうか...』
ズバリ言いますね。
と言いながら
こちらを参照してください。m(__)m
⬇️⬇️⬇️
それから、
こんな「力」も有効になります!(^-^)
⬇️⬇️⬇️