【寂しい霊は縁者を引き寄せる】
(40代男性の山での遭難未遂)
中川直之(仮名)さんは40歳を過ぎた時に初めて登山をした。山好きの友人に誘われて、新たな趣味として始めることにしたのだ。初心者なので最初のころは低山登山に挑戦。趣味がウォーキングで普段から脚力を鍛えていたため、なんなく攻略することができ、行くたびに登山にのめり込んでいった。
そして、回数を重ね初めて標高の高い山に友人と挑んだ時のことだった。最初こそは順調だったものの、この日に限り途中からきつさを感じるようになっていた。
「どうした? 体調が良くないのか?」
友人はいつも初心者の中川さんに気を遣ってくれる。
「いや、昨日は十分眠れたし、ただちょっと暑さにやられたんだと思う」
確かにその日は季節外れの暑さだったので、体が重く感じたのかもしれない。朝起きた時は調子が良かったし、そのうち慣れて回復するだろうと思い中川さんは登り続けた。
そして、中腹の木々の中を歩いている時だった。今度は耳鳴りのようなものが起こったのである。だが、立ち止まって休んでいるうちに、それは耳鳴りではないことがわかった。“声”なのである。
平日ということもあり、この日の登山者は少ない。実際今も、道の前後に中川さんと友人以外に人はいない。なのに声が聞こえてくる。何を言っているのかはハッキリ聞き取れないが、確かに日本語だ。会話ではない。どうやら独り言のようだ。ひょっとして友人か?
「ねぇ、なんか言った?」
「えっ? なんも言ってないけど」
先頭を歩いていた友人は、そう言うとサクサクと登山道を進んで行く。
「なんなんだ、これは? なんで俺にだけ聞こえてるんだ?」
もう一度耳を澄ませてみる。
(やっと××くれたね。ずっと×××が来るのを×××たんだ。早く俺の××……)
途切れ途切れだがそんなふうに聞こえた。正確には聞こえたというよりも頭の中に響いたという感じだったが……。
そのブツブツという声はしばらくすると聞こえなくなったが、忘れた頃に思い出したように聞こえてくる。だが、やはり前後には誰もいない。
「幻聴でもあるまいし、変だなぁ。山だから遠くの人の声がこだましてきてるんだろうな」
そう思いながら登り続けていたのだが、ふと気がつくと先を行く友人とはずいぶん差ができていた。
「お~い! ちょっと待ってくれ~!」
友人は立ち止まり、こちらを振り返った。だが……
「!」
それは見慣れた顔ではない。
「誰だおまえ……」
そこにいたのは見知らぬ顔。いや、そう見えただけなのかも。遠くて薄暗かったから。でも、やっぱり顔つきがなんか違う。冷たい表情を感じて、一瞬ゾクッと寒気が走った。しかも、友人は何も声を掛けてくれず、黙々と先を進み始めた。
「どうしたんだ? なんか冷たいな」
中川さんも慌てて後を追うが、友人との距離は開くばかり。そのうち曲がり道が続くと姿が見えなくなってしまった。だが、一本道なので迷うことはない。このまま進めば友人はどこかで待っていてくれるだろう。
しばらく進むと分かれ道があった。マップを持っていなかったので、どれを選べばいいかわからない。
「お~い!」
大声で友人を呼ぶが返事がない。再度大声で呼ぶが無駄だった。
「マジか……。どうすりゃいいんだ?」
辺りはシーンとしていて、時折、鳥のさえずりが聞こえるだけ。
「まさか、遭難なんてしないよな」
誰もいない森の中で不安が募っていった。
そうだ、どこかにいるはずの“あの声”の主に聞けば正しい道がわかるはず。
「お~い! 誰かいませんかぁ~!」
だが、返事はない。だが、何かしらの声は聞こえ続けている。
(こっちは××だよ……)
相変わらず何を言ってるのか分からないが、左側から声が聞こえるような気がする。人がいる方なら間違いはないだろう。そう思い、左側の道を選んだ。
しかし、進むにつれ道はだんだんと悪くなり狭くなっていった。しかも左右が崖下になっている所に出て、まるで尾根を歩いているような感じになった。今は昼間だが、日の当たらない森の中なので、夕暮れのような暗さにあたりは包まれている。もしこれが夜だったら、足を踏み外して滑落するかもしれない。そう考えると底知れぬ恐怖に襲われた。
さらに、中川さんは追い打ちの恐怖を喰らうことになる。崖の下から声が聞こえてきたのだ。
(来たね。やっと来てくれたね。待ってたんだよ。何年も……)
初めてハッキリと聞こえた。
誰か落ちたのか? だったら「待ってた」じゃなく「助けて」じゃないのか?
突然、谷底から冷たい風が吹きあがってきた。それはまるで霊気という感じ。さっきまでの生暖かい空気が一変するほどに、辺り一帯が霊気に包まれた。同時に寒気も起こった。
そして、風に乗せられるように“あの声”がだんだん近づいて来る。
(早く、早く、早くここへ!)
声だけではない、谷底から生白い手が勢いよく伸びて来た。そして、足首をガッとつかまれた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」
その手を払いのけ、中川さんは急いでその場から逃げ去った。谷底からはまだ“あの声”が聞こえてくる。
(なんで帰るの? 会いに来てくれたんだろ)
「誰だ、おまえ! 知り合いみたいな口ぶりはやめろ!」
そう叫びながら、中川さんは後ろを振り向くことなく全力で山道を走り抜けた。
分かれ道まで戻ってくると、そこには友人が立っていた。
「どうしたんだよ。あんまり来ないから戻って来たんだけど、どこ行ってたんだ?」
「左側の道から人の声がしたから、そっちだと思って行ったんだ」
「左は通行止めだよ。看板が立ってるだろ」
「えっ?」
見ると、確かに通行止めの看板が……。友人の話によると、その道は以前滑落事故が起きて、それ以来封鎖されているのだという。だが、さっきは通行止めの看板なんかなかった。あれば絶対気づいていたはず……。
下山後、霊能力者にその話をしたところ、中川さんは霊に導かれたとのことだった。看板も実際には立っていて、霊によって一時的に見えなくされてしまっていたらしい。友人が振り返った時に別人の顔に見えて返事をしなかったのも、霊に惑わされたのではないかという。では、なぜ中川さんだけが?
それは、霊が発する“あの声”にヒントがあった。霊はやたらと中川さんの耳元に語りかけていた。さらに、知人のような口ぶりで話しかけていた。つまり、中川さんとなんらかの繋がりがある人物で、この山で遭難した人ではないかというのである。
しかし、中川さんの周りで登山をする人や、その山で亡くなった人がいたという話は聞いたことがない。
だが、その後、親戚中に聞いて回ったところ、ひとつの手掛かりにたどり着いた。中川さんが一度も会ったことのない遠い親戚が、その山で遭難し亡くなっていたことがわかったのだ。遺体は発見されなかったが、破れた衣服や遺品などが見つかっており、亡骸は野生動物に持って行かれたのだろうとのことだった。
未練を残しながら寂しい思いのまま亡くなってしまうと、霊魂だけはそこに残るという。そのため、例え面識がなくても、なんらかの縁のある者がその現場を訪れると引き寄せてしまうらしいのだ。霊にとって中川さんの存在は、待ちに待った血縁者ということでよほど嬉しかったのだろう。どうしても誘いこまずにはいられなかったのかもしれない。
それは血縁者だけとは限らない。もう会わなくなった昔の同級生、少しの間でも一緒に働いていた元同僚、近所に住んでいた住人など、ほんの少しでも関りのあった者が来ると、霊はより強く自分の元へ引き寄せてしまうことがあるのだという。
特に山は、霊力が発揮されるからなおさらだ。くれぐれも気をつけたいものである。