浅草小学生時代:
【見世物小屋にいた良からぬモノたち】
昭和45年頃だったと思います。私が小学生の時です。当時は浅草の『花やしき通り』に見世物小屋がありました。見世物小屋自体、今ではすっかり見かけなくなってしまい、コンプライアンスの問題もあってますます衰退していく一方みたいです。
私が最後に見たのは平成28年の靖国神社の『みたままつり』での興行でした。その時の目玉は『蛇喰い女』。小雪さんという若くて綺麗な女性が、生きた蛇を嚙み切って血をすするというもので、小さな見世物小屋は毎回大盛況だったのを覚えています。
その時、小雪さんの側になんらかの浮遊霊が見えたような気がしました。狭く薄暗く蒸し暑い小屋に、足の踏み場もないほどの人が詰め込まれていたので、邪気は溜まって当たり前です。
その霊が小屋の中を漂っていて、たまたま小雪さんにまとわりついていたものなのか、それとも小雪さんに取り憑いた蛇の霊なのか……霊能力者ではないので、そこははっきりしませんでした。
それでも、もやっとした何か長いモノがまとわりついていたような気がしたのです。何十匹もの蛇を殺しては生き血を飲んでるんですから、タダですむはずがありませんよね。きっと何かが憑いていたのだと思います。ましてや蛇は神様の使いとも言われていますからね。
一匹の蛇の霊なら、体にまとわりついてもすぐに分かると思います。でも、あまりにも多くの蛇の霊が集まって、それが塊となってもやを作っていた……ということは考えられないでしょうか。それとも別の何かの霊だったのか……。
この当時の私は、霊の姿をはっきり見ることができなくなっていました。何かしらの存在を感じることはできても、子どもの頃のようにはっきり見えるということができなくなっていたのです。それほど子どもの方が純粋ってことなんでしょうね。
だから、『花やしき通り』の見世物小屋で見た異質なものは今でも明確に覚えています。
その時の出し物は、子どもでもわかるインチキなろくろ首、小人症の人に蜘蛛の仮装をさせて這いつくばらせた蜘蛛人間、太目女性に大根をくっつけた四本脚の女など、まさに子どもだましの見世物でした。
大人はそれをパロディとして理解し面白がっていましたが、子どもだった私にとって蜘蛛人間などは本物だと思えたものです。今だったらそんな人格を無視した差別的なことは絶対許されませんけどね。
蜘蛛人間は大人になってからインチキだったとわかってきましたが、未だにどうにも解せない存在もありました。河童男が出てきた時です。
観客は頭頂部のつるつる頭に注目していましたが、私は手のひらに目がいったのです。なぜなら指と指の間に小さな水かきがついていたのを見つけたからです。最初はそんな部分まで凝っているのかなと思っていました。でも、薄暗い劇場内で、インチキがバレバレな仮装でそこまでするものでしょうか?
そして決定的だったのは、舞台のかぶりつきで見ていた私の目の前に、河童男の足が出て来た時でした。足にも水かきがついていたのです。
「まさか? 本物?」
そう思って見上げた時、河童男と目が合いました。それまで観客に媚びていた河童の笑い顔が一変し、怖い目で私を見下ろしていたのです。
一瞬、時間が止まりました。
(見たな……)
河童男の目はそう訴えていました。そして瞬間的に悪寒が走り、私は食べられてしまうのではないかという恐怖に襲われたのです。
幸い、その場は何もなく終わったのですが、正体を知られた河童が見世物小屋を出た途端に私を付けてくるのではないかという恐怖は、ずっと付きまとっていました。
今だったら河童なんて存在するわけないと一笑に付すところですが、昭和45年なんてなんでもありの時代だったので、本物を飼っていたとしても不思議ではないかもしれません。あれはきっと本物だったと思います。
ほかにも霊現象がありました。最後の出し物で仮装した三人の登場人物がいたのですが、劇場を出たあとで一緒に見ていた友だちとその話をしていた時のこと。
「え? 三人? 二人だったよ」
友だちはそう言うのです。
確かに喋ってたのは二人だけで、もう一人は端で一言も発せず動きを合わせているだけでした。でも、友だちには二人しか見えていないらしいのです。急いで見世物小屋に戻り、呼び込みのおじさんにそのことを聞いてみました。
「最後の出し物に出てたのは三人でしたよね?」
「いや、二人だけだよ。お嬢ちゃん、お化けでも見たんじゃないの? ははは!」
背筋が凍りました。見間違えではありません。確かにいたのです。ずっと喋らないので強く印象に残っていたのです。でも、実際にいなかったということは、私だけが本当に霊を見続けていたのかもしれません。
薄暗く換気の悪い密室で、人の醜い欲望が渦巻き、人の尊厳を侮辱し奇形を見世物として嘲笑していたあの空間です。何か良からぬモノが存在していたとしても不思議ではありません。