子供の頃にテレビのロードショーで『俺たちに明日はない』を観た。ちょうど映画が好きになり始めた時で、その映画が面白いかどうかも知らずに観ていた。そして、衝撃のラストシーンを見て泣いた。
『イージー・ライダー』では、ラストシーンで呆然としてしまった。「なんでそんなことで殺すんだよ」と怒りさえ湧いてきた。
その後も映画だけでなく主人公の死ぬシーンが出るたびにジ~ンときたり泣いたりした。当時はそれが普通だったし、死ぬシーンを見せることで観る者を泣かせていたのかなと思う。
上手い演出なのだろうが、考えようによっては卑怯だ。そうすることによってたいていの人は泣くのだから。
『太陽にほえろ!』でマカロニことショーケンが死ぬ回の時、最初から観るのが億劫だった。なぜならタイトルからして『13日の金曜日マカロニ死す』だったからだ。死ぬことを事前告知しているので、最初からいい気分でストーリーを追えなかった。
演出が上手いなと思ったのは、銃撃戦で死ぬことを予想していたのに、そこでは生き延びることができ、観る者を安堵させた後で小銭泥棒にあっさり殺されるという予想外の展開にしたこと。この時は悲しいというよりは衝撃の方が大き過ぎた。
この『太陽にほえろ!』では、以後毎回のように新人刑事が殺されることになるが、それは松田優作が最高の名シーンを見せたからに他ならない。
これを機にシリーズを観るのをやめた。主要人物の死ぬシーンを見るのが個人的に嫌だったからだ。
いつも主要人物への思い入れが強いので、それが犯罪者であっても死ぬシーンは見たくない。ましてや死ぬことが分かっていると気が重くなって映画が楽しめなくなる。「今はこうして楽しんでるけど、あとで殺されるんだよな…」と思うとストーリーにのめり込めない。結末を知らずに観ていていきなり殺されてしまうのも気分が滅入る。こんなことを言ってると映画は楽しめないんだけどね。
でも、後に自分は死体を見せない演出をする映画が好きだということに気づいた。
それを改めて確信したのは『レオン』だった。追い詰められたジャン・レノが死ぬことは予想できた。だが、死体を見せなかった。倒れたジャン・レノの目線で“やられた”ことを観る者に伝えていたのだ。
つい先日も『アメリカンスナイパー』を配信で観た。史実なのでスナイパーが銃で殺されるという皮肉の事実は知っていた。どこで殺されるシーンが入るのだろうと思ったが、加害者と出かけるシーンで終わり、死はテロップで伝えられるだけだった。
『明日に向って撃て!』では、ブッチとサンダンスが死ぬと分かっている絶望的な状況の中で、銃を持って飛び出すというシーンで終わり、やはり死体を見せていない。
自分にはこれが似合っていると思った。主人公が殺されることで無理に号泣はしたくない。殺されるシーンは後味の悪さが残るだけだから。一番いいのは生き延びてくれることなのだが、そんなにあまくはないしね…それはそれで受け入れるけど…。
[編集後記]
死体を見せない演出をする映画が好きだ。でも、悪い奴は残虐に殺してほしいと願う。