震災の日
今年の17日は阪神淡路大震災の17回忌に当たります。
忘れることもあるが5時46分の黙祷は欠かさない。
今年は午前中に役所へ出掛けたので、三宮に出て東遊園地公園の式場迄行ってみた。
昨年、東北の大震災もあったので合同形式の様相だった。
厳密には区分されてはいたが…
震災は直接的な影響は無くて、知人に死傷者も無かった。
でも祭壇で手を合わせた時、涙が止まらなかった。
色々な思いが交錯して、少し情けなくも成った。
亡くなられた方々に僕は胸を張れるだろうか?生きてる事を誇れるだろか?
けどもそんなこと明日には忘れてるんだろう。毎年思っているもの…
震災で亡くなられた方のネームプレートに手を添え「今年も来たよ」と涙ながらに語りかける御婦人。
絶えず燃え続ける“復興の火”の綺麗な保護ケース。
毎朝磨いておられた男性が亡くなられた後も御婦人が引き継いで清掃していると聞いた。凄い事だ。
人の反省は、その後の行動でわかる。
職場で注意するとき、相手にこれからの行動を見てると言う。
震災や被爆に戦争など…
その時、涙したこと…今の行動にどれだけ反映されてるだろう?初期衝動?
自分は疑わしい。
試験ですら何度も落ちる。
合同慰霊祭について、反対する方々もおり別途集まって居られた。
僕もどちらかと言えば、そちら側の考えだ。
何故、阪神淡路大震災の日に改めて東北を取り上げるのか?追悼の意は忘れず胸の中にある。
イベントでは無い、合同の必然性を感じない。
失礼を承知で言うと涙は阪神淡路大震災の事で出た。
輕んじる訳ではなく、東北にまで考えが及ばなかった。
募金はした…
阪神淡路の復興は終わっていない!今なお困っている人がいる、東北を鎮魂してる余裕が有るのか!
市役所前で叫んでる人がいた。
一理あると僕もそう思う。
マスコミは“絆”の象徴ともてはやし、反対集会は報道され無かった。
復興の火を東北に運んだのもそう。
望まれたとは言え、シンボルが必要なら被災地の中からの方が自然ではないか?松原の一本松の様に…
地域性は地域性、絆で混同されるとおかしくなる。
復興からの指針に阪神淡路の事は活用出来る。
しかし今回の東北の大震災は規模が全く違う。
初めての事も多い。
困っているかたの力に成る事と、
困っているだろうから手伝う事は、
似て否なる。
後者には自己満足の懸念が高くある。
神戸は何が出来るかでは無く、東北が何を求めているかを考えた方が良くは無いか?
鎮魂と復興のシンボルとして慢性的資金不足の中、ルミナリエを12月初旬に行なって来た。
入場料を取っていい位にイルミネーションとしては他に類を見ない美しさとデザイン性がある。
何より優しい気持ちに成れる。
何故これを東北でしない?
うがった考えで言えば、神戸のメリットが無いからでは?
合同慰霊祭も今後、災害が起こった時の慰霊祭の中心、メッカにしたい思惑が在ったりして…
震災や防災に関するハコモノも沢山作っちゃったし…
消えた命は“死”という“無”だ。それ以外の何物でもない。
だから忘れない事が唯一我々に出来る事なのだ。
“死”を弄ぶ様に勝手に物語を創るような事は在ってはならない。
だから僕は宗教はその点で嫌いだ。
靖国の様に成ってはならない。
震災で亡くなられた方々へ
安らかに…
あなた方の命の分も日々努力出来るよう、頑張ります。
そう考えると広島の慰霊碑の銘文
“安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから”
の意味が解る。
新しい年
新年、2012年を迎えた。
NHK以外の民放での共同番組が無くなって久しいが、見るでもなくザッピングして過ごしてるといつの間にか年越しになっていた。
遠くフェリーターミナルから船の長い汽笛が聞こえた、それが新年の合図だった。
アレッ?って感じで年を越した。
大震災のあった昨年なので、どれくらいの方々が新年を祝っているのだろう?
東北の方々にとっては大半が喪中でしょうか?
宛先不明の年賀状も多いでは無いでしょうか?
TVの向こうでは華やかにバラエティー番組が続いてる。
好きな某討論番組は震災を議題にしているが、どこか発災後の国や東電の対応の検証みたいになっている。
観覧者は被災された方々、
怒りとこれからどうなるのか不安で感情を顕にする。
でもここでも置き去りに成ってる気がする。
国が政府がと言うが各県の役所の動きが見えないのは気のせいか?
地域レベルでの復興支援主体は県庁では無いのか?
制度や資金、保証は国が担うべきだが要請によって動くのがある種普通なのではないだろうか?
あれだけ皆、地域主権言うてたやん。
住民に密接する市町村の方が能動的に映るし疲弊してるように見えるのも気のせいか?
きっと被災地では違う番組を各局放送してるのだろう。
阪神大震災を経験した過去から想像する。
規模はちがうが、そういやそこまで‘国が…’って言ってたかなぁ。行政といえば市だった気がする。
被災地・仮設住宅では涙を流し、手を合わせ越年した方々が多いのでは無いだろうか?
中には、どうして私は生き残ったんだろうか…と苛まれている方もおられるだろう。
先の見えないこと、見えてこない未来に不安と苛立つ被災地、
震災を過去のものとして、検証・健忘し始めたその他の地域…
この温度差は何だろう?
阪神大震災の時もそうだったのだろうか?
復興の灯りを宮城に運ぶならルミナリエも東北でして欲しかったなぁ
数々のイルミネーションあれど、ルミナリエはちょっと違う。圧倒される。
もうすぐ一年、どれくらいの方々が未来思考になれてるのかなぁ?
都市生活とは違う、農林畜産漁業はどうすれば良いのか?
解らない…
除せん、除せんと言うが今はもう放射線は漏れ出ていないのか?
汚染物の処分はどうなるのか?
そもそも、原発使用済み燃料ですら廃棄に困っているのに…
また、自衛隊員が身を弧にして復興作業に携わっておられる。
世論は半ば当たり前の様に見てるが、本来の目的とは違う応急処置ではないのか?
警察官や消防救急隊員と違い、ほとんどの隊員が死者と対峙した事が無いため、ショックでPTSDやうつに成る方が多いそうだ。
また、有り得ないが今外国が攻めて来たらどうしよう…
反原発で全原発停止させたとしても攻撃に対し安全か?
解体したとしたら、残る核燃料はどうする?
そもそも、人間は好奇心という欲望によって拡大してきた。
危険だからといって技術の切り捨てをして善いのか?
全人類がそれへの欲望を抑止できるか?
とにかく安全性を確保しつつ、利用法を模索する方が人間らしいのでは?
未来の子どもたちに…
じゃあ、年金や社会保障についてもちゃんと考えようよ
自殺者、孤独死、被災地の方々同様に‘今、困っている方々’にも手を差し伸べようよ…
偉そうに言いつつ、自分は部屋に閉じこもっている。
きっと、被災地や家族の事より
別れた彼女の事を考えてる方が長い。いや、自分の事を考えてる方が長いかな…
年末久しぶりに例年より気持ちの焦りは減ったのだか、年越しをリアルに体感すると新年早々焦り出した。
自分はどうなるのだろう…
結局、その思考から逃げてるだけかな?
クエスチョンマークだらけの文章に成った。
そういや、韓国歌手も紅白で生歌だったのに驚いた。
慢る平家久しからず
球界君主と言われる某球団のGMによる内部告発があった。
対象は会長職で‘球界のドン’
コミッショナーですら顔色をうかがう大人物である。
そんな上司に反旗を翻す…
覚悟は相当なものだっただろう。
会長はマスコミを利用し球団人気を全国的不動にし、時に強引な戦力補強をしてまで常勝チームに仕立て上げた。またマスコミ自体もその人気を大いに利用した。
しかし時代を無視した活動は球界の発展や団結の妨げにも成っており、自分の球団さえ良ければいいという振る舞い、齢85の今では言葉悪いが‘老害’だと感じる。
何故いつまでも権力にしがみつくのだろう?異常にすら写る。
対して告発したGMは系列新聞社記者からの移動者。
ドラフト制度により弱体化した球団の改革を進め、何より‘野球愛’を感じさせる人物でる。
専門誌に寄せるコラムは温かく、選手を見守る父親のよう。
球団を越えて、時には意業種からも良いものは吸収しようとする貪欲さと視野の広さはまさに記者魂!
また若手選手にも目を配り、細やかな仕事の出来る人物だと好意が持てた。
何より手前の球団で選手を育てようとする試みは今の時代、世論ともマッチする気がする。
だから球団に敵意を抱いても、そのGMの活動には興味を抱いた。
今回の騒動は、GMが文科省に対して球団内部のコンプライアンス問題として、会長による組織体系を無視した人事介入を告発した事に端を発し、結局GMは解雇処分され、互いに名誉棄損で訴え合うことになった。
おそらく裁判は人脈、権力者との繋がりを持つ会長が勝利するだろう。
でもGMはタダでは転ばないと思いたい。
あとはそれを伝えるマスコミ次第か?
現に、今も‘お家騒動を社会に訴えるな’との論調ばかりで、具体的に背景や経緯を取材報道してるのは一部週刊誌以外他に無い。
その腫れ物に触らないようにする姿こそ、会長の力を暗示している。コミッショナーや訴えを受けた文科省の動きなんてこれっぽっちも無い。
先人は、後から来るものの道しるべになるべきだと考える。
しかし今の日本は、先人が道をふさぎながら来るものを拒み続けている。
今、本当に前に進むべき者は先人達なのでは無いだろうか?
先人作った道を歩み、後塵がさらにその先に道を作る。
そうやって少しずつ距離を延ばし、人間は活動範囲を拡げ進歩してきたはずだ。
若者もバカじゃない、いつか爆発する時が来るに違いない。
GMの行動はただのお家騒動なんかじゃない、権力者に対する戦線布告なのだ!


