大学受講
日曜日、スクーリング最終日の為、大学へ行って来た。
緊張からまた眠れず、不眠で講義を受けた。
半日講義なので、眠れなくとも眠気に襲われる事無く終了した。
面白い!
とまでは言えずとも、受講はたのしい。
視野が広がる感覚も心地よい。
若い頃にそう思えたら…
若い頃に気が付いていたらまた違ったところに僕は立っていたのでしょうか?
やる気なく、寝てたり別の事をしてる若い子たち…以前自分もそこに居たんだよ。
流されるまま生きて来た自分と、目的や意志を持って生きてきた賢人と…年齢を重ねる程に差を感じる。
僕はそこへ行けるだろうか…
震災で亡くなられた方々に生きている事を許される存在と成り得るでしょうか
※以上は春に書きかけてた文章にようやく加筆完成させたものです。
サンチャイルドって…
万博公園、太陽の塔の前に‘反原発’を唱えるモニュメントが建てられ話題に成っている。
総じて評判は良いみたい。
けど僕はなんだか心落ち着かない…
芸術については全くの素人だが、岡本太郎さんが大好きだ。
‘太陽の神話’がメキシコで見つかり修復され、汐留にて期間展示された時、子踊りしながら見に行き、その大きさに圧倒された。
さらなる修復を経て常設展示先を探した時には、原爆をテーマとする壁絵であったことから、広島原爆資料館が最終候補として残った。
自分もそれが良いと思っていたが、結果はアトリエの有った青山からほど近い渋谷駅、東急とJRの連絡通路に常設だった。
がっかりしたけど理由を聞いてすぐ納得できた。
‘先入観など持たず自由に、不特定多数の人に観て欲しい…それがきっと太郎さんの思いだろう…、だから渋谷の通路を選択した’
関係者のコトバである。
異論は無かった。
きっとそうだ、太郎さんならそう言う!と素直に思える自分がいた。
繰り返すが、芸術については素人だ。
そんな自分にとっての芸術作品への評価指標は、面白い!別の作品も見たい!この感情が湧くかどうかに尽きる。
面白さは、驚きや圧倒や違和感など作品のオリジナリティに感じ、羨望すら覚える事も多い。
その作品には作者のどんな思いが込められ、どんな意味があるのか…
それを想像し、考え、発想に脳が喜ぶ。
だから、作品の意味や意図は見る人によって違っても構わないと思うし、それが芸術の面白さであり、良さじゃないだろうかとさえ思う。
そういう意味において、渋谷展示も直ぐ納得が出来た訳である。
広島にあったならきっと、見る人は‘原爆’と言うテーマの枠組みを勝手に作り、その中で意味を探ってしまうだろう。
それは鑑賞ではなく、もはや答え探し…。
ゲルニカだって色が無いからこそ、見る人それぞれがそこに色を見出だす事が出来るのだろう。
クラシック音楽は歌詞が無いからこそ、その表現を問われ、聞き手の想像力を刺激するのだろう。
‘芸術は爆発だ!’
‘なんだコレは!’
岡本太郎の発したコトバの数々が象徴じゃないか。
Let it be…,Imagine…
思うがまま…、想像してごらん…。
どこかの国のミュージシャンは言った。
じゃあ、今回の万博公園の展示はどうだろう?
太郎さんの意に逆行してない?
‘反原発’をテーマに作品を作ってきた方なのは理解出来、太郎さんへのリスペクトも知った。
でも、そこに太郎さんを巻き込む事は、ちょっと違うのでは?
その作品がそこに在る事で、太陽の塔という完成された作品をさらに昇華させられるのならいざ知らず…あくまで主役は自身の作品。
大切なものに落書きされた気分。
某マンガ映画でパロディに使われた時とは違う…
クラシック楽曲に歌詞を乗せ歌われる感じ?
自分の中に湧き出たイメージに土足で上がられる感じ。
それでも、
きっとそれでも太郎さんがいたら
‘ノーン!!’
とは言わず
‘面白い!やりなさい!’
そう言って目を見開き、笑うのでしょう。
最近のブーム的な‘反原発’運動についても私見があるのですが…
また別の機会に。
太陽の塔についても…また
追伸
同じ意図なら、中之島に帰ってきた大きなヒヨコの方が感じるものがあるんやけどなぁ…


