みなさま、こんにちは、座右の銘は、「願えば叶う。本当ですよ。(ただし、本気で。)」。

ぎふたけです。

 

 吹奏楽部の入部人数が減少気味な原因は、少子化だけではないような気がします。

 

 なんだか、大変そうだなあ。ここは、ないわー。

 妙に暑苦しい男の顧問の先生、語ってるぞ。ないわー。

 うわー、あのいやな人が先輩にいる。やめとこ。

 こんな難しいこと、僕にはできないなあ。無理だ。

 お金がたくさんかかるらしい。

 規則破って、たくさんの時間練習しているらしい。

 いじめがあるってよ。

 吹奏楽部の男子って、なんか変。

 女子だって、ちょっとっていう感じじゃない?よく見たら、先生も…。

 

 こんな感じで、吹奏楽部は嫌がられていることが多いのではないでしょうか。

 全部違うよなと否定できるのですが、結局は、

 前に述べた「スーパー総合的な学び」を短時間で新入生に見せるという

 方法しかないな、と思います。

 

 圧倒的なサウンドとかっこう良さ、簡単そうに、自信もってやってる。

 

 そんな感じになるように、話し合って、準備しておきましょう。

 

音楽する人は、みんな、いい人なのです。

よい日々をお過ごしください。

 

みなさま、こんにちは、座右の銘は、「その場しのぎだから、生きていられる」笑

ぎふたけです。今回は、ちょっと傷ついています。

 

 鈴木英史先生が「バンドジャーナル」誌3月号で、

『「本質」のところで、私たちが問われている。』と題して、

問題提起をされています。

 

 鈴木先生によると、 

 パイパーズ誌1月号に指揮者の下野竜也氏の課題曲に対する下記のような意見があったとのことです。孫引きで、箇条書きに変更してあり恐縮ですが、下記の通り。

 

 「行進曲が行進曲となっていない」

 「和音和声の間違いがある」

 「音楽作品としてのクオリティに問題がある」

 「そんな曲を中高生が長期間取り組むのは明らかにおかしい」

 「サウンドだけを磨いても、中身が何もない演奏には意味がない」

 

それを踏まえて、鈴木先生は、下記のように言われます。

 

下野氏の指摘は、「音楽」という観点からの意見であり、

「いったい何のことかわからない」という吹奏楽部関係者も多く、

そういう人たちは、「音楽」に向き合っておらず、

別の方向に向いている。

 

コンクール的な演奏を実践し、

コンクールで結果を出すことを活動の大前提・根幹とすると、

音楽や楽譜を真剣に読むことは、少なくなる。

 

旋律重視で、リズムやビートを後回しにした公募課題曲の弊害は、

鼻歌的でカデンツもないと感じられる旋律で、

無理矢理リズムやハーモニーを後からはめていくので、

伴奏はお飾りでしかなくなる。

不自然かつ様式美からほど遠い和声進行のせいで、

明らかな「間違い」が課題曲中に存在することになり、

結果として、全体のサウンドだけを重視して、旋律が綺麗であればよいと考えてしまう。

 

「音楽の内容そのものと、演奏の幸せな一体化をどのように考えたらよいのか、

下野氏の発言から、多くの想いと危惧が巡るばかりです。

音楽に携わるすべての人が、それと真剣に向き合い、考えていかなければならない

ことなのではないでしょうか。」

  

最後の部分は、微妙な内容を含んでいるので、丸写ししました。

 

後藤洋先生もそうでしたが、鈴木英史先生も

課題曲の「基本的な誤りがあることと音楽的な質の低さ」を問題としています。

 

そうなのかもしれませんが、私にはわかりません。

「へえー、あれって、音楽的に質が低かったの?間違いがあったの?

そんな曲を課題曲に選んじゃったけど、不利にはなってないのかなあ。」ぐらいの

感想です。

 

だから、鈴木先生の主張されるその部分は課題曲を選ぶ(最近話題の)

全日吹連の人たちに向けられたものなのかと思います。

 

では、私たち、曲の好き嫌いや難易度やリスクの高さは言えても、

音楽的な質の低さや和声の誤りを指摘できない普通(大半)の吹奏楽顧問は、

 

「全体のサウンドだけを重視して、旋律が綺麗であればよいと考えてしまう。」ことをやめなさい。もっと、音楽をしなさい、音楽や楽譜を読み込むようにしなさい。

別の方向に向いていることに気が付きなさい。

 

と言われたのかなと思いました。

もし、そうならば、鈴木英史先生、ごめんなさい。

30年指導してますし、自分なりに勉強をしてきたつもりですが、

そこまで勉強できませんでした。間違った勉強だったのかとちょっとショックです。

サウンドを向上させ、旋律を歌わせて、リズムの楽しさ、よさを

体験させながら、大きな拍手がもらえるように、がんばってきたのが

「別の方向に向いている」と言われてしまっては、傷つきます。

課題曲レベルの作曲ができないのに、課題曲の質が低いとは、

私は言えません。

そして、生徒には、「目の前の曲のよいところを見つけよう」と、語ります。

ただ、私は国語科だから平気で「そこまで勉強できませんでした。」と言えますけれど、

音楽の先生でも、そういう人多いと思いますよ。

 

だから、鈴木先生のこの文章をよく読むと、

「私たち」の「たち」に勉強不足の普通の顧問の先生たちは

入れてもらえないみたいだとちょっと悲しい気持ちになります。

さらに、

文末の「音楽に携わるすべての人」

「和声も音楽の質も理解できない普通の勉強不足の顧問の先生方」は

入れてもらえないようだと、かなり、傷つきました。

 

自分って大好きな音楽に携わってもいなかったんだ!!!

(ショックです。)

 

そうかそうかつまり君は音楽していなかったんだよ。

と言われてしまった気分です。

                         (「エージ」が、「少年の日の思い出」のエーミール???

            じゃあ、その後には??もう大人ですからちょっと違いますけどね。

            「模範少年」の「エージ」と学校もすっぽかしたりする「僕」では、

            社会的評価として正しいのは、「エージ」です。)

 

僕は音楽していなかったんだ……。

 

音楽が好きな人、音楽をする人って、

いい人ばかりのはずなんだけどなあ。

 

よい日々をお過ごしください。

みなさま、こんにちは、座右の銘は、「井の中の蛙」

ぎふたけです。

 

 課題曲Ⅲ「僕らのインベンション OUR NICE"INVENTION”」の音出しをした週明けの朝練習で、各パート練習で、G dur D dur のスケールを様々な形態で練習をしていました。この曲にその2つの調がよく出てくるから、がんばってみようと音出しの時に声をかけておいたので、みんなやっていたようです。もちろん、いつものパート独自の練習も聞こえていました。

 

 音楽室と準備室と廊下の一角にパートが散らばっているので、音は混ざっています。しかも、ある瞬間はD dur とG durばかりが聞こえていました。

 今までに聞いたことのない音だなあと思って興味深く聞いていました。

 

 さらにもうひとつ。「スケールで」練習していることが、バリエーションの豊富さでわかりました。この学校に赴任して、丸2年が経とうとしています。やれやれ、です。時間がかかっています。

 しかし、性急すぎても失敗してきているので、これぐらいかなとも思っています。

 

ここまで、読んでくださってありがとうございます。

音楽する人は、みんな、いい人ですね。

よい日々をお過ごしください。

 

みなさま、こんにちは、座右の銘は、「『反応』することは、愛情である」

ぎふたけです。

今日は、もうすぐ中学生になる小学校6年生がここを見てくれたと考えて話します。②

 

 私は、他の先生方、保護者の皆様、関係者の皆様に吹奏楽部のことをお話しするときに、必ず言うことがあります。

 

 楽器を大切にする指導が最初の指導です。

 生徒は、親をまたいでも、楽器はまたぎません。

 中高生は素質の塊です。

 寝ていても上手になるのです。ただし、本気で、正しい方法で学ぶ時。

 吹奏楽部は、「スーパー総合的な学習」ができる日本一の部活動です。

 演奏会ひとつとっても、教科横断的な力が必要です。

 吹奏楽部を選ぶということは、人間としての成長のチャンスを

 みずから獲りにいくということなのです。

 大変多くの仲間と考えながら、悩みながら、1つのステージを

 創り上げる時に必要な学力と人間力は、一生の財産となります。

 

 だから、私は、だれかれ構わず吹奏楽部を進めるのです。

 

 ある保護者が、「うちの子は、他の誰よりも不器用な子だから、

 いやな思いをするんじゃないかと思いますが……。」

 

 私は、声をひそめてその初対面の保護者に尋ねました。

 「ひょっとして、成績も悪いですか?」

 保護者いわく。「はい、ドベだと思います。」

 私は、自信もって、答えました。

 

 だったら、なおさら、吹奏楽部ですね。よろしくお考え下さい。

 私がこの学校にいる間は、最善を尽くします。

 

 その子は、楽譜を全部できたわけではないけれど、演奏できちんと貢献して、ちゃんと胸を張って卒業しましたよ。

 

 さあ、新入生諸君、充実感や満足感はお金では買えません。

 吹奏楽部には、それがあります。

 迷ったら、吹奏楽部です。

 先輩たちの顔を見てごらん。いい顔してるでしょ?

 

 ぜひ、よろしく。

 

音楽する人は、みんな、いい人ですからね。

よい日々をお過ごしください。

 

みなさま、こんにちは、座右の銘は、「平和主義」

ぎふたけです。

今日は、もうすぐ中学生になる小学校6年生がここを見てくれたと考えて話します。①

 

 私は、大学生・18歳になってから、吹奏楽部に入ったので、上手になるのにとんでもなく時間がかかってしまいました。12歳で楽器を始められるあなたたちがすごくうらやましいです。だから、なかなか上手にならない人の気持ちがよくわかります。12歳で始めてもうまくなるならないは、正しい方法で練習したかにかかっています。主体的に正しい方法を探しましょう。

 

 時代が進んできたので、現代は部活動に入らないというチョイスもありです。しかし、その場合は、「何か好きなこと」が一生懸命できる自分をもっていてほしいなあと思います。こんな偉そうなことを言っている私は、別に「音楽一直線」「ド根性吹奏楽部物語」をやっているわけではありません。

 数日後の2月22日のブログを見てもらえばわかるように、とんでもなくスケールのでかい「趣味」をもっています。だから、私は、こんな「吹奏楽部だらけ」のブログを書いているくせに、明日から法律で「吹奏楽禁止」と決められても、寂しいけれど、何とか生きていけます。世の中、好きなことだらけ、世の中、おもしろいことだらけなのですから、ほかに楽しいことを見つけられます。

 そんな私に、高校の担任の先生は、「極楽とんぼ」とあだ名をつけました。

 

 なんの話だった??

 そうそう、吹奏楽部ね。部活で迷ったら、吹奏楽部にしましょう。これほど、自分を成長させてくれる部活はほかにありませんから。また、入ってみたけれど、やめたいな、と思ったら、連絡をください。

 たいていの場合は、顧問の先生が悪いのです。代わりに謝ります。

 ごめんなさい。

 じゃ、なくて、相談に乗りますから。

 

 

音楽する人は、みんな、いい人ですからね。

よい日々をお過ごしください。

 

みなさま、こんにちは、       座右の銘は、「清濁併せ呑む」・・・ホントか?

ぎふたけです。

 

 吹奏楽の世界に「ダメ金」という言葉があって、一般の先生方も知っていたりするぐらい世の中に出回っているようです。

 最近はどうかわかりませんが、この言葉を使う人は、「地区代表」「県代表」に縁のある人が使っていたように思います。「〇〇代表」になるような顧問の先生方には、「ダメ金」などという生徒のがんばりを否定するような(それは結局自己否定にもなる)言葉を使ってほしくなかったです。

 全国大会に出るような先生方のところへ行って、見学させていただき、たくさんのことを学ばせていただいても、会話のやり取りの中で、「その年は、ダメ金に終わってねえ。」とさらっと言われると、何かが冷めていく感じがしたものです。(ご本人は、ご謙遜のつもりでおっしゃっているのはわかってはいるのですが……。)

 

 30年やっていますが、これだけは言えます。

 絶対に毎年上手になっています。

 賞の色が同じであっても、必ず上手になっています。

 先輩を越えようと後輩は常にがんばっています。

 

 代表権のない金賞をまずは獲りたいと這い上がろうと地道にがんばっているバンドにとって、「あなたの言う『ダメ金』は、うちの生徒の憧れなんだけどなあ」と冷たい気持ちになるのです。

 

 だから、去年新しい言葉を造りました。

 去年のコンクールは苦労して苦労して、金賞に食い込んだんです。

 あなたたちが獲った賞は、

 

 純金!って呼ぶぞって言ったら、失笑気味でしたが、微笑みました。

 

 いいでしょう?「ダメ金」なんて、言わないようにしませんか?

 

音楽する人は、みんな、いい人ですね。

よい日々をお過ごしください。

 

 

※純金=代表の権利がつかない金賞のこと。

    従来は「ダメ金」という言い方をすることが多かった。

 

みなさま、おはようございます、座右の銘は、「臥薪嘗胆」(がしんしょうたん)

ぎふたけです。

 

採点で眠い状態ですが、今日は、やっと部活再開です。

課題曲Ⅲ「僕らのインベンション ~OUR〝NICE"INVENTION~」を

音出しします。

 

最初は、「8分音符=60」の練習のための譜読み講習会。

タブレットのカメラでスコアを大きなテレビに映しながら、

 

「四分音符は八分音符2つ」というところからスタートします。

今までも、もちろんレクチャーしているんですが。

 

そんな状態で、この曲は荷が重いのじゃないか?とお思いでしょうが、

5か月あれば、中学生という若者たちはできるんです。

とにかく、それにはいつも感心させられます。

 

今は、ガイドラインとの戦いですが、

部活削減の嵐は、1990年代もひどかったのです。

 

急がば回れ

 

そのときに基礎基本を正しい方法で実施することが

大切だと実感しました。

 

さて、どこからやるか。

このブログの読者の皆様は

過去ブログの「リズム唱に歌詞を付ける」のページを

思い出していただけるでしょう。

最初に、それをやります。

 

そして、「8分音符=60~100」で、課題曲Ⅲのラストから音出しします。

どんな報告ができるか……。

 

その後、課題曲はやっぱ、マーチがいいよね、と変更しているかもしれません。(笑・あるある)

本日の合言葉は、

 

否定語は人を不幸にするから、使わない方がいいね。

 

です。私の自費出版した本の54ページに載っています。

がんばります。

 

音楽する人は、みんな、いい人ですね。

よい日々をお過ごしください。

 

みなさま、こんにちは、座右の銘は、「大雑把な人は国語力が高まる」!

ぎふたけです。

 

 国語という茫洋とした教科は、科学的な人には向きません。

 明日できることは明日にしようという大雑把な人が文学者に多い気がします。

 (自分に対する言い訳です。失礼。)

 

さて、『少年の日の思い出』(ヘルマン・ヘッセ作、高橋健二訳)の授業で

第1クライマックスと呼ぶべき場面の黒板です。

生徒がノートを書いているときの黒板と、

発表交流、話し合いの後の黒板の2枚です。

ポイントを残して、がらりと変わっているのが特徴です。

 

 

 

近所に住むエーミールのクジャクヤママユ(大変な希少種)を

見せてもらいに行ったが、不在だった。

結果として、そのちょうを部屋から持ち出してしまうのだが、

そのとき、主人公の「僕」は、「大きな満足感しか感じていなかった」という

普通ではない状態にあることについて、考えを形成する授業の黒板です。

50分間でこれほどの変化が起きる黒板は、感動モノです。

 

未習の生徒にとって、ネタバレになってはいけないので、ほんの一部分

切り取ってあります。(塗りつぶし部)

 

この読み取りは、25年前からやっています。

 

平成24年版光村図書の指導書からこの読み取りが一般に流布しました。

その読み取りは、昔は「ユニーク、きわもの、深読み、誤読」と非難されてきましたが、

私は、正しい方法として、ずっとやってきました。

 

本文中に根拠があるのだから、確かです。

私もあと数年なので、どなたか引き継いでもらえないかと思い始めました。

 

『少年の日の思い出』の国語の先生方対象の講演依頼受け付けます。

(1件目はノーギャラで参ります。)

 

こんなページを最後まで読めた方は、みんな、いい人ですね。

よい日々をお過ごしください。

 

 

 

みなさま、こんにちは、座右の銘は、「水滴石をも穿つ(うがつ)」

ぎふたけです。

 

長年吹奏楽部の顧問をしてきて、初級バンドの指導に自信がありますと言い切るだけの苦労をしてきました。人、物、場所、金が吹奏楽顧問の基盤となる仕事です。

それをさらに包み込む心の部分が同時に進行させたい部分です。

 

顧問の先生に質問

間違ったことをより定着させることに練習時間を使うって、問題ですよね。

吹奏楽部員に質問

 練習には、それぞれ意味やねらいがあって、それを考えて行うと効果絶大です。

 

常に自問自答しているのですが、方法が間違っていることが、とても多いのが現状です。「とんでもない方法でとんでもない音を出している練習」を熱心に行えば、それが定着してしまいます。新しく赴任した学校で、基礎合奏とは何か、から始まることも私にとっては、普通のことです。また、間違った方法を見逃していることも大変多いので、注意です。

 また、正しい練習方法であっても、それは何のためにやるべきで、どうなっていくはずの練習なのかを理解して、練習を進めたいものです。

 効率の良い練習方法について常に考えてきました。一人一人がその練習の意図や目的を考えて主体的に取り組んでいるかが大切だと思います。

 

 

音楽する人は、みんな、いい人ですね。

よい日々をお過ごしください。

 

 

 

 

こんばんは。今日は、純粋に国語科専門ページです。

いつもお読みくださる音楽系の皆様は、1回休みとしてください。飛ばしてください。

 

中学生、小学生など、これから『少年の日の思い出』を学習する人でも歓迎です。

国語科の先生は、知っていてほしいことの確認です。

 

Q. エーミールの部屋をノックしたときには、まだ、エーミールの家の中(プライベートな居住区)  

  には、入っていない。(まだ、不法侵入していない。)

  下りる階段で、「女中」さんとすれ違っているが、そこは、すでにエーミールの家の中では

  ないので、「女中」さんは、主人公とすれ違っても不審に思うことはない。

  中庭もあるが、「僕」は「うちの小さい庭」に腰かけていた。

  ということは、どういう家の構造なのか。

 

A. コの字型、または、ロの字型の古いドイツの集合住宅(団地)で、大きな中庭と

  いくつものの階段やドアの前の廊下が、共用スペースとして存在する。

  1階の住人には、その中庭にごく小さいその家専用の

  スペースが与えられている場合もある。日本の団地と違い、

  1家族につき、1つのドアではなく、家族の人数や経済状況に応じて、

  いくつかのドアとその中の部屋を1つの家族で借家としている。

 

  昼間は、ロの字型の団地の住人は、どの棟のどのドアの前の廊下を通っていても、

  共用スペースなので、不自然なことはない。それは、階段も同じ。

  夜は、各棟の入り口に、女中さん、管理人さん、大家さんのいずれかがいて、来客を

  借家人に取り次ぐシステムがあった。時代がもう少し下ると、各家庭へのベルが普及し、

  その後、各家庭へのインターホンが普及するが、この物語のころは、人が取り次いだ。

  

  だから、結論としては、「僕」は、1階に住んでいて、エーミールは、その向かいの棟の

  4階に自分の専用の廊下からのドアと部屋をもっていた。事件は、そこで起こった。

  エーミールの家族は、同じ棟の1~4階に別のいくつかのドア(といくつかの部屋)を

  借家としている。(エーミールの部屋と続きになっている可能性も高いが、

  夜の訪問の時に、取り次いでもらったような記述がないのは、気になる。

  このあたりは、生粋のドイツ人にお尋ねしたい。)

  夜は、家族が集まるリビングルームのドアからいったん他の住民も通行可能な

  共用廊下を通って、それぞれの寝室にいくところが、日本の文化と異なっている。

  室内でも靴を履いている文化もその理解を助けてくれると思った。

 

※教科書出版社、参考書、副教材出版社の執筆依頼受け付けます。

  例によって、1件目はノーギャラで受けます。

 

 

※なお、訳者、高橋健二氏が郁文堂から1957年に出版したドイツ語テキストのコピーを

 持っています。研究のためには必要だと思っていますが、ドイツ語ができなくて、

 困っています。コピーを送りますので、研究のために必要なドイツ語についての

 こちらからの質問に答えてくださる方を募集します。

 メッセージをください。

 

例 「獲物を隠していた手」の「獲物」は、「Das Tier」=獣 ということなどが、

  ドイツ語テキストからわかりました。

  「あいつ」は、まだ探せていません。